第一話 庭のやくわり

こんにちは西村さん。庭のコラムが始まるということで、本当に楽しみにしています。さっそくなんですが、西村さんが庭のお仕事をはじめられるきっかけから、教えてくださいますか?

 庭に興味を持ち始めた頃、地元の三重県で何の疑いも無く買っていた植木だけで今後のニーズに対応していけるのか? という事に疑問を持ったのが始まりで、北海道から沖縄まで植物の産地を調べていた時に出向いた大阪の古川庭樹園。そこで知り合った古川さんにお誘い頂きガーデニング研究会という会に参加させて頂いて本格的に庭をつくるきっかけになりました。
 研究会で教えていただいている主宰者の武部正俊さん(造園家)は庭に限らず、建築・歴史・美術・食など、造詣が深く常に庭を多角的に考えており、いつも好奇心旺盛な姿と仕事に対する姿勢に感化され自分もそうありたいと思いました。
 

私はかねてから庭というのは日本人の生活に欠かせないものなのではないかと思っているのですが、庭づくりの専門家として、これから庭を作ろうと考えている方に、庭の形状とか植木についてアドバイスをいただきたいと思っています。よろしくお願いします。

 家を建てる時、多くの方はまず建物を先に考えがちで、庭づくりと同時にという方はまだまだ少ないようです。また、もうすでに家を持たれている方が、さてこれから庭を、という場合もあると思います。そのような方々に、私はぜひお伝えしたいことがあるんです。
 植物を扱う仕事をしている私が思う「住まい」とは、「家」と「植物」と「住み手」が同じ時間を共有し、互いに協働し合って成り立つものだと思うのです。
 

「家」と「植物」と「住み手」が同じ時間を共有して、互いに協働し合う、というのは具体的にいうとどんなことでしょうか。

 家は人の暮らしを守り、植物は自然の猛威から家を守る。人は植物に水を与えその命をはぐくむ。というように、古来から、家、人、植物は三者持ちつ持たれつの関係を営んできました。それが近年の暮らしにはどうやら欠けているように感じます。
 建ぺい率一杯に建築してしまったり、草ぬきが面倒で敷地をコンクリートで覆ったりすると、植物を植えることができなくなり、その大切な恩恵をうけることができず、暮らしが豊かになる可能性を狭めてしまいますので、家と植物のバランスにも目を向けることが大事だと思います。
 木を植える事で四季を五感で感じとることができます。新緑や紅葉などの色の変化、春の気配を芽吹きの香りで感じたり、花を育て果実を収穫したり、虫の鳴き声を聴いたり、折々の変化が楽しめる住まいとなるでしょう。
 

そうなんですね。ただ家が建っていたらいいのではなくて木を植えることがさらに精神的に豊かで実りの多い暮らしを保証してくれるということですね。

 そうなんです。もちろん植物を育てる過程で大切なことがあります。水やりや、枝の剪定、枯れ葉が落ちれば、お掃除をしたり、雨どいに詰まる葉を取ったり、と手入れをしなければなりません。
 しかし、大切だという気持ちで毎日植物の世話をし、家の手入れしていれば、植物があなたの愛情に敏感に反応し育つのはもちろん、その姿を見ている子供達にはあなたの姿勢や意識が受け継がれていくと思うのです。
 

単に植物を植えるだけではなくて、子孫に育てている姿を見せて伝えていくということですね。よいことの種まきのような感じでしょうか。

 はい、僕も育った家でそれを見てきました。おじいちゃんがハシゴを掛けて庭木に上り一本一本手入れをしている姿は今でも心の中に残っていて、自分が一軒家に住むようになり、小さな庭を管理してみて、庭を持つ大変さと植物を植えることの大切さをはじめて理解できたように思います。僕にその姿を見せてくれたおじいちゃんのおかげだと思っています。
 

それを見ていたからこそ、なのですね。
けれど植物は育てようとすると大変だと思う人もいるのでは?

 確かに植物は手間のかかるものではありますが、かければかけるほど必ず返ってくるものがあります。勇気をもって挑戦してみて下さい。家と植物のバランスが上手く行けば、きっと暮しの豊かさが実感できるはずです。
 

そんな風に考えると木や草が家の守り神の役割を担う、神聖でおごそかなものに思えてきますね。人と家と植物の三者の関係が分かったような気がします。