第五話 ミーティング

三重県の庭師さんである西村工芸の西村直樹さん、金沢町家の庭をつくってくれることになりました
三重から場所を見にきてくださり、ミーティングをすることになりました。西村さん、どうぞよろしくお願いします。
さっそくなんですが二坪半ほどの狭い敷地です。なんとかなりそうでしょうか。

 

Nガーデントーク打ち合わせ
 敷地を拝見し、庭が具体的にイメージ出来ました。窓の開口が大きく光の量が多い気がしましたので常緑樹木で葉っぱの色が濃い木を多用して光の量を調整して、しっとりとした雰囲気を目指します。
 また、敷地の外にある工場の窓が気になるので植物を配置しプライベート性を高めた空間にしたいと思います。

塀の向こう側の工場の窓から、いつも見られているように気になっていましたので、プライベート性を高めた空間、嬉しいです。
土は今浅くしか入っていないのですが土の具合は大丈夫ですか?

 大丈夫です!はじめに土壌改良を行いますのでバーク堆肥や燻炭等で土がかなり増えますので 量が増えた状況を見てから検討します。

そうなのですね。安心しました。ところで以前、室生犀星(*1)の庭についてお話しさせてもらったのですが、早速読んでくださってとても嬉しいです。この中で、犀星が『日本の庭』(*2)の中で庭づくりをする人に必要な素養のようなことを書いています。けっこう厳しい書きようなのですが(笑)読まれてどうでしたか?

 いやぁ、精神的に堪えました(笑)庭をつくるような人は陶器とか織物とか絵画とか彫刻とかは勿論、料理やお茶や香道のあらゆるつながりを知っていなければ庭をつくることは難しいですよ。と書いてあり、自分はなんて未熟なんだと。。。
 一方でよくよく読み込んでみると、僕が実践している事について述べられている部分もあり理解が深まりました。

例えばどんなところでしょうか。

 例えば料理です。日々何を料理するかでも庭のイメージは大きく変わってきます。和食を作っていて洋風の庭園ではどこか違和感があるものです。
 施主さんがどういう食事をするかや、骨董品か作家物の食器かでも変わりますし、また椅子の高さ張地の素材、テーブルや床の色など自分が拾える情報は全て拾いあげ、思考や生活のスタイルに併せることで、よりクオリティの高い庭になって行くのだと思いました。

なるほど、確かに生活様式が庭と連動するのは理解できます。私の生家はやはり金沢町家でした。父が寿司店をしていて15人の大所帯でしたが昭和40年の市街地の開発事業で無くなりました。私には町家居住体験の刷り込みがあるような気がします。そのためか町家がとても好きです。
金沢のこの町家は昭和3年に建てられたもので、ちょうど犀星の39歳ごろ。明治35年に上京後同人誌を発行したり小説の雑誌掲載が開始されるなど作家として油が乗ってきた時期です。金沢町家の伝統的な工法で当時を再現するべくリノベーションされているので、犀星の庭の考えを参考にできれば丁度時代も合うことになりますね。

 また、犀星の『庭をつくる人』と言う随筆集で「梅もどき」というタイトルの随筆があるのですが、室生犀星の梅もどきを読んでいるとこんなにも艶やかで美しい木は他に無いと感じましたので是非、植えてみたいです。

わあ、素敵ですね。犀星は「梅擬の実の朱いのが冬深く風荒んでくるころに、ぼろぼろ零れるのはいいものである。」と書いています。あと、苔もこちらでは自然に生えてくるのが日常です。苔もふんだんに使いたいです。

 承知いたしました。苔も沢山増やしたいですね!

それから西日を遮るものも必要ですか?

 はい。西日の方角に合わせ弱い木の後ろに高木を配置し西日を遮ってくれるような庭を考えています。

とにかく私の方では、西村さんの作品として残すことができるように、あまりとらわれず、自由に作っていただきたいです。

 ありがとうございます! 金沢町屋にピッタリの庭を作ります!!

Nガーデントーク打ち合わせ

*1 室生犀星 1889年(明治22年)-1962年(昭和37年)は石川県金沢市生まれの詩人・小説家 別号に「魚眠洞」。庭をこよなく愛し、自らも作庭をした。庭に関する執筆も多数。

*2 「日本の庭」室生犀星著 昭和18年 朝日新選書
この中で室生犀星は「(庭をつくるようなひとは)あらゆる人間の感覚するところの高さ、品の良さ、匂いの深さにまで達する心の用意がいることになる。人物ができていなければ庭の中にはいってゆけない。」と述べている。