「海じじい」とネジネジ

子どもたちと『日本昔ばなし』に収録されている「海じじい」を観た。

ある南国の漁村。村の決まりで定められた漁場だけでは飽き足らず仲間の反対を押し切り、禁漁区へ漁に出てしまう。その日舟一杯のサザエを獲り、腹ごしらえのためにサザエを焼いた。ところが焼いたはずのサザエの身が次から次へと空になっていく不可解な事が起きた…

サザエ獲りの得意な若者の漁師が掟を破ったがために海の魔物に遭遇するという、資源を枯渇から防ぐ知恵としてのフォークロアで、とても興味深かった。というのも、ぼくは一年に何回かは、海の資源のことやミネラル循環の話を聞くために、宮津湾でトリガイを育成する漁師に会いにいく。海の漁師は、ぼくら農家のように植物の成長が芳しくなかったら堆肥や肥料を適宜散布する、という訳にはいかない。上質な二枚貝を育てるためには、自然環境の保全保護が必要不可欠だ。だから、彼らは森が涵養したミネラルを含む水を運ぶ河川や海底の湧水、森の存在そのものにとても敏感で、海から恵みを搾取するのではなく、海を育て、資源を枯渇しないようにどのような行動をすべきなのかを考えている。一度獲り尽くされたり汚されたりした環境は、海も土壌も同じく元に戻そうともなかなか戻せるものではない。

土を労う腐植も山水もいれないまま放棄された畑(左)。除草用の厚いナイロンシートのゴミをすべて取り除き、去年の春から堆肥を入れて耕し直しているが、土壌から養分が奪われているため現在のところ収穫量は少ない。

この春のことだ。15年ぶりに、ぼくが農に関心を抱くきっかけを与えてくれた友人と邂逅した。大原に引っ越してきたという友人は、以前から自然農法で稲や野菜を栽培していて、ことの成り行きで空いている畑を耕してもらうことにした。友人はせっせと圃場を掃除し、なにやら自分で藁を綯い輪っかにしたしめ縄を土に埋めようとしていた。

どうやら、それをすることで土壌の微生物が活性化したり、鹿や猪が畑から遠ざかったりと不思議な効果がでる「ネジネジ」というものらしい。ぼくは少しばかり眉唾だと思いながらも、しめ縄の輪っかを手にしてネジネジの仕組みや効果を聞いているうちに、輪っかから「海じじい」の最後の件を連想してしまった。

若い漁師は、「海で不可解なことに遭ったら舟を繋ぐ纜(ともづな)を通す鉄の輪を覗けばその正体が分かる」という、村に古くから言い伝えられた言葉を思いだした。急いで舟に戻り、鉄の輪っかを覗くとそこには海に住み人を喰うという白髪の爺がいた…

友人が畑に来るようになってからぼくは随分、自分で散らかしたマルチシートの小さな破片や紐くずなどのプラゴミを拾ってもらっている。先輩農家から、「この棚田は預かり物だ」と散々教えてもらっているのに地力を上げることばかりに気を取られ、多忙にかまけてゴミを見ないようにしている自分がそこにいる。土を肥やしその恩恵で商いするのがぼくらの仕事だが、汚さないように養生しながら、次の世代に渡すこともまた農家の大きな使命なはずだ。ぼくは、無意識にそのことから逃れている…。

手にしたネジネジの輪っかを惟喬親王墓(※)の方向にかざして覗いたら、惟喬さんの怒っている顔が今にも見えそうな気がしてきた。

(※)大原の棚田の最上部にある惟喬親王の御墓(第1回「ウエンダ」の由来参照)。