鉛色の空

日本海からやってくる湿った風が比叡山の北西斜面にぶつかると、大原は雪混じりの鉛色の空になる。関西で唯一、北東北の空気を感じられるこの時季に、ぼくは津軽で慣れ親しんだ発酵食を仕込む。母が持っていた本を見ながら覚えた大根と身欠ニシン、そして麹を使った麹漬けだ。

麹漬け

大根は、畑で栽培したみずみずしい歯応えが特徴の鞍馬大根をざっくり鉈切りにする。身欠ニシンは、漬ける前日に酢水に浸して臭みをとる。麹は、3時間ほどぬるま湯でふやかし、糖化が始まったものを使う。塩分は総量の3.5%。大根、身欠ニシン、麹とミルフィーユ状に重ねて重石をかける。上がってきた水を適宜切りながら、2週間もすればパリッとした歯応えの大根と麹由来の甘み、そして、それぞれの酵素で熟れて柔らかくなったニシンから滲み出る旨味の絡みあった麹漬けが出来上がる。

麹漬け

12年ほど前の冬、滋賀県高島市の安曇川にある道の駅を訪れた。そこで記憶の中にある津軽で食べたものとほとんど同じ麹漬けと出会った。青森限定の郷土料理だと思っていたものを遠く離れた関西の地で見つけた瞬間、驚きと懐かしさがこみあげた。それ以上に、その日訪れた湖北高島の冬の空が、津軽の空模様と同じ鉛色だったことがとても印象深かった。

その後、大原から鯖街道を伝って北に位置する朽木に近い山間に入った椋川という山村で、この麹漬けが伝わっていることを知った。おそらく北前船の存在もあっただろう。調べると、この手の麹漬けは日本海沿岸に各地点々と伝わっているらしい。作り方を見学するために、冬の椋川を訪れた。その時、鉛色の空を見上げながらK婆さんが放った「仕込みは、この空の塩梅やで」という一言が、ぼくの麹漬けの世界観を変えた。

その頃、夢中で読んでいた福岡伸一のエッセイがある。生物とは川の流れの如く絶え間なく変化しながらも全体としてはバランスがとれているという状態について綴ったものだ。有為転変するものが、ひとたび言葉や科学という概念で分節化されると“バランス”そのものの発想がなくなる。それを鑑みると、ぼくは「郷土料理」という言葉を使うことで「地域」という境界線を引いた。途端にローカルでノスタルジーな、限定的なものにすり変えてしまった。本来、時とともに人の手が加えられ、変化しつつ同調性を保ちながら伝播する、おおらかで懐の深い発酵食の世界は、生物学の世界と似たようなものかもしれない。

K婆さんの一言がきっかけで、ぼくはこの鉛色の空に触発され、まるで生命が如くいろいろな要素が連続しながら消滅しては誕生し、川のように連綿と移ろいゆく発酵食の本当の姿を垣間見た気がした。

たまたま訪れた安曇川で遠い過去に食べた故郷の発酵食と遭遇し、椋川の山村で作り方を教わった。農家になるまではなんの縁もゆかりもなかった京都大原で、この土地の風土を生かして大根と麹を拵える、いわば麹漬けの伝播の当事者となった。まるで自分の人生も、発酵食文化のゆく川の流れのように思える。

今日、ウエンダには鉛色の空が広がった。それを眺めて、深くしっかりと呼吸する。そして、仕込みに取り掛かる。

ウエンダの虹