朽ちてゆく大根

早朝。麹の仕込み前、圃場のチェックをしている時、もやし(麹菌)を切らしていたのを思い出し、六波羅の老舗種麹屋、菱六もやしまで仕入れに行くことにした。

出向いたついで菱六さんから数軒離れたところにある、みなとや幽霊子育飴本舗に立ち寄った。ある時、亡くなった女の墓から泣き声が聞こえるので、墓を掘り返したところ、その女が産んだ赤子がいたそうだ。亡霊となった女が、夜な夜な買いに行った先の飴で赤子の命を繋いでいた、というのが名前の由来。水飴とグラニュー糖だけでつくったその飴は、口に含むとなぜかにわかに幼い頃の遠い記憶が蘇る、素朴な味だ。

夕方、作業を終えて帰宅した。妻と子どもたちは用事で実家に帰っていて、家の中はひっそりとしている。こんな時は、舞踏の映像を観ながら思索する。大野一雄の舞踏は、学生の頃に出会った。身体論の授業で映像を鑑賞したのが最初だ。ちょうどニジンスキーのバレエを西洋美術史から読み解く講義もあって、それぞれの舞踏を比較するまたとない機会であったのを思い出す。若さの祭典のような西洋のバレエと、もう一つは老いと死がせめぎ合うような東洋の舞踏。老齢の大野が舞台の上を彷徨う姿は、当時ぼくが常識だと思っていた跳躍や瞬発、回転そして柔軟といった身体表現の必須要素とは全くかけ離れたものだった。むしろ、老いのありのままをあえて追求する表現は、美しさの在り方に千姿万態あることを、ありありとぼくに教えてくれた。

寒風に揺さぶられる枯れ枝と、最後まで残された一枚の枯葉。風に翻弄され、今にも吹かれて飛んでしまいそうな刹那の表現。大野一雄の舞踏を観た最初の印象だった。老いは、必ず誰にでも来る。年齢的にも自由が効かない身体の動きに抗うことなく、それでも指の先まで神経を配り緊張感を保ちながら緩やかに動かす。その姿に、ぼくは老いの中に潜む気高さを感じた。それ以来、時間があればこうして鑑賞しては、いずれはやってくる我が身の老いについてぼんやり考えている。

ふと今朝のことを思い出した。アブラナ科の野菜が植わった畑に、去年11月に抜いて畝に置きっぱなしになっていた傷のいった大根だ。幾度か凍って、身の部分はひからび腐敗しはじめていたが、驚くことに陽の差す方向に向かって新しい葉を出していた。身はボロボロでも、次の種を残そうとして最後に残った体力で花をつけようとしている。その姿に生命の逞しさよりはむしろ、生きて繋ぐことに対する執着をみる思いだった。

ついさっきまで老いは身体的にも精神的にも抗うものではなく、受け入れるものだと感じてきた。でも、本当にそうだろうか?

農家になって、たわいもないことと思っていた農地の引き継ぐこと将来に繋ぐことの難しさを今になって思い知らされている。そして、いざ自分が父親になって、子どもの将来のことを考えると、その責任に押しつぶされそうになる時がある。それでも自分の子どもらがまっとうに人生を歩んでくれるのを見届けるまでは、行儀よく老いる訳にはいかない。長女のことを考えると尚更、あの朽ちてゆく大根のように、なんとかしてでも生きて見届けたい。妻に至っては、身がこの世から滅したとしてもきっと娘を見届けようとするだろう。

そんなことを考えていたら、今朝口に含んだ飴の味と、舞台の上で必死になにかを求め彷徨い続けようとする大野一雄の姿が交錯して、無性に涙が出てきた。