花子パン

秋分の日。今年も麹づくりが始まった。

日が短くなり、イネ科の草が出穂すると、草刈りから解放された時間は麹づくりに充てられる。宅配先のお客の注文に合わせて米を蒸し、種切りをする。できあがった麹は、主に味噌の仕込みや塩麹にして調味料として利用されるのだが、工夫の仕方によってはパンづくりにも応用できる。

まずは、麹を使い甘酒にする。それにレモン果汁を入れてpHを調整、25℃保温。数日もすれば、もともと家に棲みついていた酵母が降りてプクプクいってくるので、その液を直接用いて生地を発酵させる。日本酒の酒造りからヒントを得た、いわゆる天然酵母パンだ。水分量を少し多めにして、捏ねることはしない。軽く粉を混ぜるだけで、あとは酵母と麹の酵素の力で美味しく仕上げる。パンチもしない。一発発酵で、平均240℃で50分かけて焼き上げる。

パンづくりは独学。本屋で見つけた『TARTINE BREAD』に写ったパンの表情を手掛かりに、酵母の起こし方や発酵時間、焼き時間を試行錯誤し、クープの裂け方や、気泡の入り方から味まで、納得がゆくものになるまで3年かかった。乳幼児のいる家の酵母菌は非常に発酵力が強いらしいという情報を見つけ、以来、市販の酵母菌は使うことはなくなった。酵母の由来である娘から名前をもらって「花子パン」と呼んでいる。捏ねないのも筋力の弱い娘を思ってのことで、甘酒由来の仄かな甘みと、グルテンを練り出さない分歯切れが良いのが、このパンの特徴だ。

パン

花子パン。ぼくは娘が誕生するまで、パンなぞ焼いたことがなかった。生後まもなく急に思いたち、数年間焼き続けたのは、ハンデのある娘が、将来もしも生きづらくなった時に、一つだけでも拠り所となるものがあってほしい…趣味や特技が一つもない自分に対する情けなさと焦りからだった。

土や植物を相手するようになって、随分と季節との付き合い方が変化した。春分の日、秋分の日を境に、ぼくは生活のリズムにメリハリをつけるようになった。夏の間、植物の世話に明け暮れる。秋分の頃から、触れることもなかった本を読みだし、麹をつくる。頭のてっぺんで太陽の日光、夜は鹿や猪を追っ払いながら月光を浴び、足裏で地球の地面を意識しながら日々を過ごしていると、万物が壮大な仕組みの中で均衡を保ちながら存在していると感じる。天体が影響し合う中で、生体のバランスがとられているという認識は、ワインの醸造界ではルドルフ・シュタイナーが提唱したビオディナミ農法でもよく知られている。太陽が地球に近づくと、引力の影響の下、植物は上へ上へと生長を促進させる。そして秋分を境に太陽が遠ざかり、その引力の支配から解放されると次第に、地球の重力に寄り添うように植物は根や種に活力を移動させ、土壌は来春に向けて休息に入るという。だからだろうか、秋分が過ぎてから収穫する里芋やカブ、大根、菊芋が毎年のことであるにも関わらず、感動するほどにおいしい。

気がつけば冬至。すでに植物も土壌も養生、休息に入っているのだが、ぼくの農業なんて一年ぶっ通しで、休みといえば正月だけという…それでも大きく春分と秋分を意識することで、身体的な労力の負荷を意図的に分散させ、心の中にゆとりを差し込む。天気を読むのが農家のルーチンならば、星の動きに身を委ねてみるのは農で生きるための智慧。パンづくりを始めたあの時の心境が、今ではなんだか自分本位の小さな悩み事だったとさえ思えてくる。とはいえ、娘のために習得したパンづくりは、ぼくの財産。太陽が遠ざかるあいだの心身の癒しだ。

麹づくりも佳境に入ってきた。植物の世話に追われて焼けてなかった花子パン、そろそろ仕込んでみようかしら。

農家