交響する風景

この冬、ぼくはウエンダで最後の一筆だけ残っていた耕作放棄地を借入れた。2010年に、大原に辿りついて以来、毎年、耕作されていない畑や継ぎ手のない田んぼを借りては手入れし耕作面積を増やした。先輩農家と協力しながら空いているウエンダの棚田の全てを耕作地に整え、13年かけて面積は7反ほどになった。棚田は斜面が多く、草刈りに時間がとられ、形もいびつで生産効率が悪い。それでも生業が維持できたのは、昔の人が拓いた全ての棚田に稲や野菜が育ち、人の営みが感じられるウエンダの景色を見たかったからだ。

一昨年、このコラムで書いた「善知鳥(うとう)」がきっかけで、ぼくは舞鶴市の中山間地域で「寒山拾得」という屋号で農家民宿を営みながら罠猟師をする清水祐輔君と対談イベントをした。去年12月には念願だった彼の猟場を訪ねた。

清水君がどうしても案内したい猟場があるというので向かったのが、長ノ室という地区だった。赤岩山と由良ヶ岳に挟まれた細長く深い谷地の斜面に拓かれた、かつて水田だったと思われる棚田だ。野面積みの堅固な石垣が組まれた何段にもわたる畑地には、樹齢40年ほどの檜が間伐されないまま植わっていた。棚田の一枚一枚に、均等に水が行き渡るように水平をとる。そして、石を積み上げてゆく気の遠くなるような労力と時間。日々食べるための執着はどれほどだったのだろうか。それでも見捨てられたこの土地に、彼は、括り罠を仕掛け、猟をする。毎朝、見廻をする度に、昔、営まれたであろう人々の生活を想像する。ここから望む丹後の山々に、自分だけの特別な情景を感じるのだという。

仕掛けた全ての括り罠を見廻る間、初雪が降った。明け方の雪が針葉樹の枝葉に絡みついている。峰から谷間に陽の余光が差し込むにつれてモノクロームの荘厳な世界が現れ、ハッとした。ぼくは対談を思い返していた。彼は、獣の命を獲ることで己の生業を維持するどうしようもない葛藤を「なめとこ山の熊」の物語になぞらえて語っていた。案内してくれたこの土地の風景から、農家であるぼくが、猟師である彼の想いをどれだけ汲み取れたかはわからない。けれども中山間地域で暮らし、昔の人の身体性に敬服し、長い時間をかけて築きあげた土地のもつ記憶に思いを寄せることで、自分という存在をなんとか今、この場所に定着させようとする切実な心持ちが伝わった。ぼくも、きっと清水君も、それぞれの土地に流れ着き、根付こうとしてゆくなかで発見した、生業を続けられるための神気となるような自分だけの風景がある。

早朝、ぼくは、軽トラックの中で暖をとる。ウエンダを一望し、少しの間だけ瞑想する。東の山の嶺から棚田の一段一段に陽が差し込み、育てた野菜に張り付いた霜が氷解し、小さな雫となって陽の光を反射しながら土に落ちてゆく。やがて、凛とした空気の中で鮮やかな緑色を回復し野菜たちが呼吸をしだす――さっきまでの日常生活の苛立ちや焦燥はスッと消え、透明になった自分が土地の記憶や、山の稜線から吹いてくる風と混ざり合い、境界を超えて調和する。それは、日々の葛藤や苦悩を浄化し、暮らしに一寸の希望をもたらしてくれる、交響曲のような風景だ。