長野県編 その三

松本に初めて行ったのは25年ほど前だったでしょうか。当時木の家具を作っていた友人たちと、まだ一歳の長男をおぶって松本のクラフトフェアに訪れました。1985年にフェアが始まったというから10年くらい経ったころ。
1990年代当時は有名無名問わず作家がムシロを敷き、作品を作る工程を教わったり、談笑したりできた素朴なものでしたが、どんどん規模は拡大していきました。それはフェアにとっては喜ばしいことなのでしょうが、私の興味はなんだか失せてしまいました。手作り感のあった当時が懐かしく思い出されます。

1998年、私は金沢市内で小さなカウンターだけのバーを始め、その店名を「彗星倶楽部」としました。大正から昭和にかけて活躍した小説家、稲垣足穂の小説のタイトルでした。シングルマザーになった私が子供二人と暮らしていく資金を稼ぐため始めた店で、素人の私にはピンとくる店名が見つかりませんでした。足穂の文庫本をパラパラとめくっていた時、ある小説のタイトルが目に飛び込んできました。「これしかない」、直観しました。
店も軌道に乗ってきたある時、松本の信州大学を卒業した同世代の友人が、「松本の彗星倶楽部を真似たんか」と言ってきます。驚きました。松本にも同じ名前の店が1960年代から存在していたのです。学生運動時代、信大の学生たちの集まる店だったとも聞きました。何度か松本彗星倶楽部のお客様が金沢の私の店にも足を運んでくださったりしました。

数年前松本に旅をした時、当時はまだ開館されていなかった松本市美術館が開館されていました。2002年に開館したこの美術館は今(2019年)、世界的に名を知られるアーティスト、草間彌生ワールド全開といった様相になっています。玄関横に彼女の作品「幻の華」が設置され、美術館の外壁は赤い水玉に覆われています。最近はアジア諸国から多くの草間彌生ファンがやって来るということでした。
この美術館にはほかにも信州ゆかりの作家の常設が見られます。常設展示のうちのひとつ、田村一男の絵に心が奪われました。蓼科をはじめ信州の山々、日本の風景を独自の視点で大胆かつ繊細な構図で描きました。信州にゆかりの深かった作家より寄贈されたその画業の一端をこの常設展示で見ることができます。

なお、松本市美術館のことは近くチルチンびと別冊「日本の美邸」WEBサイトにてご紹介する予定になっております。そちらもぜひ合わせてごらんください。