長野県編 その二

はじめておきな堂に入ったのは4年前。かつて信州大学に通っていた方が何十年も経って、その思い出の地を辿る旅に誘ってくれました。楽しい旅のはずなのに、何かとても緊張していてその時何を注文したのか、何を話したのかも思い出せないのですが、ただレジの後ろの壁に掛けられていた草間彌生の絵画だけは強烈な印象として残りました。松本のおきな堂を再び訪ね、あの時の記憶を辿ってみたいと思いました。




昭和8年に「翁堂喫茶部」としてオープンし、三代続く老舗。創業以来松本の中心部を流れる女鳥羽川のほとりに位置しています。
おきな堂の看板ロゴは約50数年前、二代目が後を継ぐ際にデザインされました。ナプキンの上にも「珈琲 おきな堂 かつ定食 ランチ カレー サンドウィッチ etc」白にセルリアンブルーのレトロな文字が印刷されています。
昔ながらの薄緑色のソファ、ワイングラスが下がるカウンター、艶々黒々としたテーブル、いつからそこにあるのか、古びた本が置いてあるコーナーや、ステンドグラスのランプ、店内は年月を経た物たちの主張が感じられます。
年齢を召した白髪のご婦人は常連のお客様なのでしょうか、静かにご注文されると窓の外を眺めていらっしゃいます。松本の洋食屋さんといえば、おきな堂というほど、歴史を経て変わらぬ懐かしさを求めて松本を離れても再び人々が訪れます。



さて、私達はオーソドックスな日本的洋食の代表格、おきな堂の定番、ポークステーキ、カツカレー、オムライスを注文しました。肉厚のポークが鉄板の上でジュウジュウいうのをナイフとフォークで切りながら、古人のことを考える時間になりました。
すでに私は新しいものを追いかけるのではなく、懐かしさを求める年齢になりました。前衛芸術家としてニューヨークに居住し、帰国後も止むことなく今も精力的に活動を続ける草間彌生は20歳で松本を離れますが、それまで初代であるご祖父様や新聞社の方々とこのおきな堂の閉店後、酒を酌み交わしていたというエピソードもあります。彼女の初期ころのものでしょう。コーヒーカップを描いた水彩のドローイングは、まだ迷いのあるような線と、すでにあの粒粒が見られます。別れてしまったかつての私の同行者は、ここでこれを見る機会をくれたのかも知れません。




また何年か経ってこのおきな堂を訪れるのはいつかなあ。懐かしい席に座って、オムライスを食べながらゆっくりと窓の外を眺めている初老の自分が目に浮かぶのでした。