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江戸の土蔵の面影はいまでも川越でみられるが、釜揚げうどんの専門店「根津釜竹」は、東京下町のお屋敷に残っていた煉瓦蔵を明治のすぐれた職人の仕事を残したまま改装。しばし現代の喧騒を離れた、その落ち着いた雰囲気で下町散策のお客が絶えない。この煉瓦蔵は、第6回文の京都市景観賞「景観創造賞」を受けている。

下町の根津に昔をしのばせる釜竹の煉瓦蔵(明治43年築)
下町の根津に昔をしのばせる釜竹の煉瓦蔵(明治43年築)

小林澄夫さんに聞く

Q そもそもわざわざ蔵を建てるようになったのはなぜですか?
一つは、日本の家屋が柱、梁に障子やふすまといった構造で、収納の場所が少ないため。一つは、冠婚葬祭などの集まりに使用する、まとまった調度品を収納する場所が必要だったため。一つは、財産を火事や盗難から守るため。一つは、ステイタスシンボルとして。
Q 蔵は通常の建物より、なまこ壁や掛子塗りや黒漆喰など、凝った技術を用いたり、内部の梁や柱の数も多いのはなぜですか?
土蔵はかつて左官棟梁といって、左官が頭になって、請け負い仕事ではなく常庸仕事でつくられた。それで、左官が出来るだけ手間ひまを掛けて細工を尽くしたから。柱の数が多く、太い梁を使用しているのは、構造上内部空間を広くとりしかも丈夫なものにするため。

■倉と蔵
倉(蔵)には、その用途によって、米蔵、店蔵、酒蔵、文庫蔵、座敷蔵などさまざまあるが、その素材や構法からは木だけの木倉、土と漆喰による土蔵、石を積んだ石蔵、煉瓦造りの煉瓦蔵の三種類がある。歴史的には法隆寺の校倉のような木倉が古く、土蔵、石蔵と重なり、明治以降の煉瓦蔵となる。物の貯蔵としての木倉から、防火の土蔵へと発展した蔵が最盛期を迎えたのは明治期で、手間ひまかけた観音扉や漆喰の黒磨きなど職人の高度な技術がみられるが、それ以降の土蔵はみるべきものが少ない。

 

始まりの土蔵。土塀造りの版築の構法でつくられた山口県豊浦の土蔵

始まりの土蔵。土塀造りの版築の構法でつくられた山口県豊浦の土蔵

静岡県浜松市の農家の石蔵

静岡県浜松市の農家の石蔵

川越の店蔵。重厚な土蔵造り

川越の店蔵。重厚な土蔵造り

福島県喜多方の煉瓦蔵。座敷蔵の付いた最高級の煉瓦蔵

福島県喜多方の煉瓦蔵。座敷蔵の付いた最高級の煉瓦蔵

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