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玄関はなくした理由

前回の「短いアプローチ」を上って大谷石敷きのポーチに着くと、そこには当たり前のように見慣れた玄関という風景がないのです。大きめの引き戸を開けると、そこは即、廊下です。下足はポーチで脱ぎ、ポーチにある物入れに収めるという仕掛けですから、靴を脱いで室内に入る機能は満足していますが、玄関という場所はないのです。

 

入口からポーチを見る

入口からポーチを見る

正面の収納が靴入れになる

正面の収納が靴入れになる

ポーチから入口を見る

ポーチから入口を見る

 

少し近代住宅史的になりますが、玄関のない小住宅は1950年代の戦後モダニズム住宅に現れます。それは「NO.3立体最小限住宅」(1950年/池辺陽:靴を履いた生活スタイルを想定していたかも知れない)、その2年後「最小限住宅」(1952年/増沢洵)が下足を脱ぐスタイルをとりながら玄関をつくらずに建てられています。ただ、当時は玄関という場所は住宅の民主化の流れから、微妙な場所と考えられていた時代だったこともあるかもしれませんが……。それにしても「最小限住宅」の濡れ縁から直接に居間に入るプランは民家の開放性を思い出させ、これでも良いな~と感じられますし、本題とは少しズレますが、2軒ともに吹き抜けで上下階を繋ぐ豊かな空間が小住宅であることを忘れさせます。やはり良い小住宅ですね。

 

その後、1999年に「最小限住宅」をリデザインした「スミレアオイハウス」(リデザイン/小泉誠)では小さな玄関がつくられています。当たり前かもしれませんが、下足を脱ぐには使い勝手が良いからでしょうね。

 

では、田中さんは玄関をなくした理由をどう説明しているのでしょうか。『住宅建築』(1998年1月号)掲載時の解説文に、制限の厳しい小さい住まいには「緩急をつける―限られた面積や高さをどのように配分するかが重要である」との記述があり、家族室をできる限り広くつくるために、「廊下、階段の動線空間や私室を小さくし、最後には玄関がなくてもよしとし」と説明しているのです。自宅だからこそできた選択とも言えますが、しかし、ただ玄関をなくしたのではないことに注意してください。なくすにはそれなりの工夫が必要なのです。

 

前回紹介した「車寄せと緑のカーテン」と密度のある「短いアプローチ」が広めのポーチを道から遮断せずに遠ざけ、ポーチをちょっと特別な場所に仕立て上げています。そして特に注意してもらいたいのは境界にある壁柱です。この郵便受けとインターフォンが仕込まれた壁柱が結界となって、さらにこのポーチを閉じてはいないが、別質の場所にしているのです。これが外壁と繋がる一枚の壁だったら、また違った場所になっていたでしょう。何気ないようにそこにある、この壁柱は隠れた仕掛け人かも知れないのです。
 

結界の役目を持つ壁柱

結界の役目を持つ壁柱

緑のカーテン越しに壁柱とポーチをみる 

緑のカーテン越しに壁柱とポーチをみる 

短いアプローチ

短いアプローチ

 

それと、私が感じた別質の場所というのを説明しないといけませんね。「感じ」を現すのは難しいのですが、町家の格子戸を潜ると玄関前に開けた中庭がありますが、此処がその中庭に見えたからです。まるでこの壁柱が民家の格子戸のように思えました。まったくの室外でも、室内でもない場所ができたのです。

 

このポーチ周辺は密度のある各場所のデザインが連結して一つの情景をつくり出しています。こんなポーチが出来上がったから玄関という場所を思い切って無くせたのでしょう。ここまで用意できれば、型を破っても良いかなあ~と思っています。

 

なにか、1950年代モダニズム住宅が新しい「型」を発見しようと試行した情熱を思いださせるようです。田中さんも街中に建つ小住宅の「型」を発見しようと、玄関があることが普通とされた現在の「型」をあえて破ったのでしょう。それにしても、できる限り広くつくったという家族室の検証をしないと、玄関をなくした意味が説明できないので、次回は家族室です。