11月9日。あれだけ暑くて長かった辛い夏があったことも嘘だったかのように、ウエンダの棚田に初霜が降りた。今朝のこの冷気は里芋や菊芋、人参なのどの根菜を一層美味しくする。妻に頼み込んで、先月刈り取った緑米の玄米餅で雑煮を作ってもらった。
緑米の玄米餅は、粒々感があり味が深い。羽二重に比べて粘りも少なくそして伸びない。どちらかというと歯応えが特徴の、しっかりと咀嚼して食べる餅だ。搗き立ての玄米餅は、米本来の香りがとにかく香ばしい。たまらず餅をつまみ食いした。口いっぱいに広がった香ばしさに刺激されて、しばらく前に食べた自作のコシヒカリの玄米の味わいを思い出した。「雨ニモマケズ」ではじまる宮沢賢治の詩のなかの「デクノボー」は、一日わずかな野菜と玄米四合も食べる。「流石に玄米四合なんて毎日は無理だろ…」なんて思いながら、食べ応えのある玄米餅を齧る。
一時期、腰痛がひどかった。畑仕事に適した体つきを意識するたびに、賢治がなりたかった「デクノボー」ってどんなやつなんだろう? とイメージする。玄米はしっかり咀嚼しないと消化に悪い。だからきっとあのデクノボーは、顎がしっかりしたエラのはった顔立ちに違いない…… 一日四合も玄米を消化する内臓ってどうなっているんだ? きっと、腸が長く内臓の筋肉も活発に違いない。その内臓を抱える頑丈な体躯のことだ、おそらく脚が太く短いのかもしれない。脚が短く頑丈な分、腰の位置の低く長時間の屈む仕事にも耐えられたのかもしれない…… 自分勝手な妄想を膨らませ、村一番の偉丈夫で一切の贅沢とは無縁であった、母方の祖父の風貌と重ね合わせる。
穏やかな性格のとっちゃ(祖父)とはウマが合った。大学を卒業するまで時折訪れては、祖父の運転するトラックの助手席に乗り、りんご畑に行った。時には隠し湯に浸かりにいったり、廃墟になった材木場で昆虫採集したり、ぼくのわがままに随分と付き合ってもらった。明治生まれで商才に長け、勤勉で几帳面なじっちゃ(曽祖父)からは「なんぼとろくさいやづだな」なんて、まるでデクノボー扱いにされていた。しかし、束ねた草を持ち中腰で構え、一直線に飛んでくるオニヤンマの軌道に合わせて瞬時にそれを振り下ろし、一度も失敗することなく捕まえる俊敏なとっちゃを知っているぼくにとって、じっちゃは何もわかってない悪役だった。婿で入った祖父の忍耐は計り知れない。唯一の拠り所は、山のりんごの畑でひもすがら過ごすことだったと後で知った。
里芋、菊芋、葱、生姜、大根をたっぷり入れた雑煮が炊けた。根菜の地味深い味と玄米のコクが響き合う。旨さが身体中に染みる度に、よく1日も休まずに働き続け、あの辛い夏を乗り越えられたなと実感し、妻に感謝する。そして、あっちゃ(祖母)が漬けた酸っぱい漬物に醤油をかけて茶碗山盛りの飯を黙々と食っているとっちゃの姿を思い出す。ぼくにとっての「デクノボー」はいつも側にいる様で…
気がつけば、腰痛はいつの間にか癒えている。
