滋賀県編 その一

今回から始まる旅は琵琶湖を中央に抱き南北にひろがる滋賀県。近江八幡市にやってきました。お訪ねした安土町常楽寺は町中に水路があり、かつては一家にひとつ田舟を持っていたといわれるほどの水郷の町。

「料理 魚石」は安土城下の西の果てにあたり、湧き水がこんこんと湧く敷地の上に建っています。何十年も透き通ったままの水。煮沸しなくてもそのまま飲めると検査で太鼓判を押されるほど。武井夕庵(たけい・せきあん)が織田信長にお茶を献上するため、近くを流れる用水・梅の川の水を使ったという逸話が残っています。

敷地内の湧き水の上に木を組み小屋を建て、鴨漁師だった石松さんが小さな魚屋を始めたのは明治時代の終わり(1911年)のこと。それから4代目にあたる当代の瀬海悠一朗(ぜがい・ゆういちろう)さんは修行先にて懐石料理を学んでいたあるとき、「大根の花がどんなものかも知らずに大根を使うのは、食に携わる職人として違うのではないか」と思い始めます。当時京都を追いかけた料理が多いと感じていた瀬海さんは、滋賀でしか味わえないものを目指したい、と創業100年目にあたる2011年、修行先からふるさとに戻りました。26歳の時でした。
以来、地の食材を創意工夫しながらお料理を作ってきました。受け入れるお客様は昼2組、夜2組限定。入り組んだ路地を抜け、とても見つかりにくい場所にも関わらず、代々口伝えでお客様がやってきます。




「料理 魚石」の文字とロゴタイプは書家の華雪さんの手によるもの。二階の和室はすっきりとした和のしつらえ。床の間と戸襖には東近江市の野田版画工房の版画がありました。
天智天皇がこの地を訪ねた時に子供らが元気なのに驚き、村人に尋ねると幻の果実を食べているとのこと。そう言い伝えのある幻の果実「郁子(むべ)」を使った食前酒から、厳かに会席がはじまりました。

「今日の朝、ちょうど初物がはいりました」と獲れたばかりの氷魚(あゆの稚魚)が釜揚げが出されました。すだち、塩、鰹醤油でいただきます。安土のモロコはつやつやと代々受け継がれてきたうなぎのたれでつけ焼きされています。
「しつらえはご縁のものだと思っています。もともと代々使っていたり、めぐり合わせで手に入れたもの。」と聞き、私はとても嬉しくなります。私もそのようにして「ご縁」で授かる器に恵まれてきたからです。
北之庄菜がうやうやしく漆の御膳に乗って運ばれてきました。これは近江八幡市北之庄地区で江戸末期からある伝統野菜。一時栽培が途絶えていましたが、偶然種が見つけられ復活したという幻のかぶ。葉の色は濃い赤緑色、土から上に出ている部分が鮮やかな紫色に。お漬物として柚子の香りをお供にいただきます。
鮒ずしは春に鮒を仕入れ、内蔵をとり丸ごと塩漬けし、その後塩を洗い流した中に炊きこんだ近江米を詰め、土用の丑の日にお米と一緒に漬けはじめ約半年後に完成するハレの日の料理。口の中で発酵した米と鮒がほろほろと融けていく初めての経験。昔は各家庭で漬けていたものです。かつては瀬海さんのお祖母様が、その伝統食の作り方を教えて回っていたと伺いました。




お向かいに流れている湧き水の用水路には鮒を洗いにくる近所のおばちゃんたちの姿が今でも見られ、季節の風物詩になっています。
安土信長ねぎは柳に切り、たっぷりと鍋の中に。むかごご飯、わかさぎの天ぷら、どれを取っても滋味深く、エネルギーがあふれてくる品々ばかり。
地元で受け継がれてきた野菜と、滾々と湧き出す水。縁の深い作家の器、それらに関わり料理をすることがどんなに魅力的なことかを知った瀬海さん。ご本人のお話しぶりからその嬉しさが伝わってきて、滋賀の旅は「心美しき作り人」との出会いからはじまりました。

[写真の献立]
氷魚の釜揚げ / 氷魚の炊いたの / 北之庄菜と近江米 / 寒鰤日野菜おろし仕立て / 琵琶湖の公魚天ぷら / 自家製鮒寿司 / 安土信長葱と鴨の鍋