静岡県編 その三

皆様、いかがお過ごしですか。なにか不思議なご縁で、今回50回目の投稿になりました。いつもお読みいただきありがとうございます。

これまで出かけたところを数えてみますと三重県、福井県、福島県、徳島県、高知県、石川県、滋賀県、京都府、静岡県、愛知県の10県。新型コロナの事がなければもう少し増えていたかも知れません。

つましい生活をしていても旅への憧れは尽きず、旅に出る前の少しの不安と期待はいつも期待の方が勝ってしまう。駅のホームの旅人。その家族のことや人生をあれこれ勝手に想像してみたり、ホームで旅人を見送る人の顔色を見たり、出張の人のパリッとした背広姿、黒くピカピカに磨かれた靴に惚れ惚れしたり、金沢駅の二階の蕎麦屋さんのオニギリがもう売られていないことが残念。旅の間湧き上がるいろいろなネガティブな感情とか、もうそんなのどうでもいい、という独り言とか、ふと襲ってくる寂しさのこと、駅の案内は昔の車掌さんの肉声が好きだったこと、初めての人と何を話そうか、と考えに耽る旅。

そういえば、旅好きだった母といろいろなところに行ったことが思い出されます。昭和40年代、金沢駅はまだ古色然と郷愁ただよう、それでいて文化的な香りも漂っていました。今もまだ西口に所在なさそうにいる加賀人形の郵太郎は、子どもの私より背の高かったはずなのにいつの間にか小さくなっています。駅の壁には宮本三郎画伯だったのか、森の中で動物の被り物をかぶった人があつまっている絵が少し見上げたところにかかっていました。子ども心に怖いような、不思議な気持ちになったものです。あの絵はどこにいったのだろうか。

父が亡くなったあと、母に手を引かれてお東さん(東本願寺)へ咽仏のお骨を納めに京都に行きました。電車の中の窓を両手で上に持ち上げ、窓辺についていた小さな台の上にプラスティックの入れ物にはいったお茶を置きます。蓋部分がコップになっているまだ温い抹茶はゆらゆらと揺れておりました。凍ったみかんが解け始める頃に食べました。その冷たさをよく憶えているのに、母の表情が全く思い出せないこと。

さて、静岡の旅は、島田市に差し掛かろうとしています。島田で私たちをいろいろなところに案内してくださったのは、長谷川さんご夫妻。お二人は金沢の馴染みのお店の店主のご両親。ニコニコと笑顔が素敵なお二人に最初から心が和んでこれから楽しい旅の予感がします。