京都編 その六

 

イギリス人にとって散歩は日々の不可欠な習慣。自然の中を歩き、新鮮な空気を吸えば脳も身体もリフレッシュし、自己免疫力が上がり、病気知らず。散歩は良いことづくめだというのです。 

特にこのコロナ下では狭い部屋の中で身動きもせず、パソコンをにらんでいる生活。これでは気持ちもネガティブになり、免疫力も落ち、人間性が失われて行くように思います。私たちは生き生きとした植物に触れ、外気の中で太陽を浴びる必要があるのです。

京都大原。ベニシアさんのこの頃の楽しみも親友のレベッカさんと散歩をすること。ご近所はどこもかしこも秋の花が真っ盛り。家の前から森まで続く小道をよもやま話をしながら散策することに。

その後、近所のご婦人に招かれるままに縁側に腰掛けてお茶をいただくことになりました。

ご主人が作ったという石積みが特徴的な庭。すべてが手作りという花壇はこつこつと作って行った様子が伺えます。なんでも昔はお風呂が離れの一角にあったとそうで、真冬の雪の日にはお風呂で温まった後にまた雪の中母屋まで戻るあいだに身体が冷えてしまったとか。

お話が弾んだあと、ベニシアさんが、「Sing sing a song!」と歌を唄い、「何か覚えている歌はありませんか?」とお尋ねすると、ご婦人は「あら~小さい時よくうたったけどほとんど忘れてしまったわ~そうね・・・」少し思いあぐねたあとに、

「♪春は桜のあや衣(ごろも)、秋は紅葉(もみじ)の唐錦(からにしき)、夏は涼しき月の絹、冬は真白き雪の布」※

と美しい詩の歌を唄ってくださった。少し物憂げなヘ長調の子守歌のような諧調に私たちは大感激。

「日本の曲はなんか、みんなメランコリックね」とベニシアさん。「みんな唄う時は子どもに戻って楽しそう」とレベッカさん。

世界中どこに行っても歌がある。歌は幼い頃の思い出を蘇らせる。私たちの寂しさを紛らわし、懐かしさとともに、過去や未来とのつながりを取り戻す。唄うことも散歩と同様私たちの気力と生気を保つことであった。

歩くこと、唄うこと、私たちの遺伝子に組み込まれた仕組みなのではないだろうか。遠い原始の時代から私たちは知っている。歩く時、唄うとき、話す時、私たちの心は躍る。

 

※曲名:「美しき天然(うるわしきてんねん)」は1905年(明治35年)に作曲された日本の唱歌。日本初のワルツと言われている。大正から昭和初期は「チンドン屋」の定番曲として演奏されていたことから、歌詞に比べてメロディが有名

作詞:武島羽衣 作曲:田中穂積