京都編 その五

 

アメリカ人であるレベッカさんは、ベニシアさんとは数年来のお付き合い。ベニシアさんと一緒に歌を唄ったり、一緒に散歩をしたりするご友人だ。海外から学生運動の盛んな70年代に来日。そのまま日本に居ついてしまったというバックグラウンドが共通している。

多くの当時の欧米人が日本に来る時まず東洋のスピリチュアルの原点、インドを目指す。ベニシアさんはインドで、プレム・ラワットという思想家のところにしばらく滞在し、さらに東を目指し日本にたどり着いた。レベッカさんは、ベトナム戦争の終わりごろにインドに向かう。その後鈴木大拙の禅の思想に触れ、縁があって円空仏の研究者の文章を英語に翻訳することになる。それ以来30年日本に滞在し京都にたどり着いた。

ベニシアの家の正面から続く近所の小道を散歩することになった。

ちょうど3人が並んで歩けるほどの小道の両側には花々が秋の日差しを受けてゆらゆら揺れている。

ベニシアさんはスキーのストック二本を一本ずつ両手に持って、杖のように地面に突きながらゆっくり歩くことができる。その速度に合わせて、早すぎず、遅すぎず、間隔をとりつつレベッカさんは寄り添うように歩く。私もそのペースに寄り添い、二人の邪魔をしないように、できるだけ普段の二人の会話がスムーズに進むような距離を意識する。

あたかも自分が居ないようにして居ること。これはなかなか難しいことだ。なぜなら二人の会話を聞き取らなければならない。そして二人の貴重な散歩の時間の邪魔もしたくない。親しき仲といえど、礼儀正しい距離というものがある。その加減というものは私たちの日常の中でも、家族であっても大切にしなければならないことだ。二人の様子を見ていると何かその距離を絶妙に取っているように見える。そんなさりげない気遣いをすることは、実は簡単なことではなく、真の思いやりがなければできないことなのだ。

ベニシアさんは室内ではほとんど見えていないものが、外の光の中でいくらかは鮮明になるようだ。風が吹き、花が揺れ、花の香がする。すべてのものを五感で感じ取ることを私は忘れていたことすら、忘れているのだ。

ご近所の女性がベニシアさんと私たちに気づいて、「どうぞ家に寄ってください」と、誘ってくださった。半ば強引に、と感じるのは、テレビによく出ている彼女との会話をしたいためなのか。西洋人の女性たちの間のそれとはまた違う、ここからは大原人との距離の間合いと、日本語での会話が必要になるのだ。

ベニシアさんもレベッカさんも、私も少し躊躇したが、せっかくだから、と女性の家に続く石の坂のアプローチを上ることになった。