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第3話「なにっ 会津!?」

星信郎(水彩画家)
1960年~2002年在籍

それやこれやで 、結局、抽選ということになった。そうなると、学校にはアタマの働く人がいてね、すぐ、白いチップに採用する人数分、番号をマジックで書く。それを段ボールの箱に入れ、あと、何も書いていないチップをざっと入れて、みんな、穴から手を入れてチップを引く、というわけ。ところがね、わかるっていうのがいるんですね、チップを指でなぞると数字の書いてあるのがわかるって。マージャンで、そういうの、あるでしょう。男の子なんかが、手を入れてチップを選んでなかなか抽選が進まなかったりしましたよ。

ぼくの頃は、思うように生徒が集まらなかった時代。セツなんて、ほとんど知られていなかった。ぼくは、何で知ったかというと、その頃『モード  エスプリ  デッサン』という本があったんです。そこには、セツ先生のデッサンやファッション画、文章が載っている。それを読んでいたら、「ウチの生徒が」という文章かあった。ウチの生徒、というからには、何か学校みたいなことをしているんじゃないか、と思って調べたら、高樹町の幼稚園の二階を借りてやっているらしい。ぼくは描くことには関心があったけど、セツは知らなかった。ぼくは、高校をでてすぐ、県庁にしばらくいて、相馬郡にいたりしたあと、東京のデザイン事務所に弟子入りしたんです。でも、なんか一つ、面白くない、勉強したいなあと思っていたんです。

セツを見つけて入学案内書を取り寄せて見ると、授業料も非常に安かったし、貧しかったぼくにも、これなら通えると思って入学手続きに行った。書き込んだ書類を見て、受付の女性が「アラ、星さんも会津なの!?」と言った。近くのソファに座って、足を組んで新聞を広げて読んでいた人が、「なにっ、会津 !?」と言った。

(つづく)

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  1. A より:

    第3話‼︎
    待っていました!

  2. 峰岸 達 より:

    ドーモドーモ、セツモード、峰岸です。
    星先生、元気そうでなによりです。ぼくも元気そうでなによりです。
    やはり、この「私のセツ物語」の大トリは、星先生以外にいないでしょう。
    ぼくごときが4回も書いちゃったんですから、星先生は、100回くらい書いちゃってください。
    1回目に書いていた、知っているけど書けない話、をこの際どんどん書いちゃってください。
    Tのことやら、Sのことやら、Yなんてのもいましたね・・・。
    なんてったってセツの事に関しては、平尾昌晃じゃないけど♪星はなんでも知っている、なんだから。

    で、ぼくは水彩画も石膏デッサンも1度も授業に出たことはありません、どころかクロッキーさえ、
    ろくにやってません。ぼくはひたすらロビーで社会勉強してたんです。

    何言ってるんですか、星先生、MJ展は3年前の2月にやったのを最後に辞めちゃったんですよ~。
    いろいろ考えた末のことです。
    「MJイラストレーションズブック」は、出し続けますけどね。

  3. 星信郎 より:

    峰岸センセイ
    あらあら、コメント2度もでてくれてありがとう! 前回のほうにも返信してありますよー。

    せっかくだから一言呟きますが、デッサンなんて何十年やっても特にどうってことないですね、いまも続けてデッサンしてますが、昔も今もあんまり変わらないです。 少し変わったとすれば、ファッションとかモデルでしょうか? ただ楽しいからやってるだけ。

    このデッサンは30年昔にセツの生徒と一緒に描いた群像デッサンですが、こんなポーズを描ける機会はもうないです。

  4. 大橋未生 より:

    2話目はまたまた見逃していましたが、3話目はタイムリーに見つけられて嬉しいです。
    お返事もありがとうございました!

    ところで、合評の後で、セツ先生に作品を見せにいってしまったこと…ありました。今思い出すと赤面ですが、怒られなかったので良かったです。
    「んー、ここら辺は良いんだけど…やっぱダメーっ」て感じのお返事いただきました。笑

    ちょっと此処ではないんだけど?と感じた時に、セツのような学び場があったこと、とても豊かな時間だったと思い返します。
    私にとっては絵のスタート地点になりましたが、他の方にとってはやり直しに来れる場だったり。そんな、年齢も経験も違った皆が、ロビーに集まってお話できたことは、素敵な時間でした。
    私の頃は、女の園でしたけど…先生たちの時代にもタイムスリップしたいです!

  5. 星信郎 より:

    大橋未生さん コメントありがとうございます。

    よく世間では、「セツは何にも教えない学校」なんていうヘンナ評判もあったらしいが、たしかにセツ先生は(絵の描き方)については話さなかったですね、セツのコンセプトは自由さ+上品さ、とか言ってオシマイ。
    それよりも映画やファッションの話、日常の生活習慣や人生感についての話は実に多かったように思います。それで良いのだ!と思った人だけが卒業までいるのだが、卒業作品審査はなかなか厳しいものでしたね。

    ぼくが入学したころは、春と秋に年2回、関東バスで一泊スケッチ旅行がありました、それが何よりも絵画の勉強になるということでした。
    それが後には海外旅行まで発展しましたが、海外必ずしも絵にならずではありました。
      

  6. Kaneko Nagisa より:

    星先生も峰岸先生も本当にお元気そうで何よりです^^。
    生徒が集まらない時期というのは、私の居た頃を思うと想像できません。星先生のお若い頃のお話は興味津々。
    それにしても、星はなんでも知っている♫ 峰岸先生のコメント、光っています^^。
    ほとんど授業に出ていないのお答えにもびっくり、さすがです。

    また、次回が楽しみな余韻のある終わり方。楽しみにしています。

  7. 星信郎 より:

    kaneko nagisaさん ありがとう!

    昔はセツも貧乏で、麻布高樹町から新宿舟町へ引っ越すとき、生徒もセンセイも皆んなで一緒に大奮闘して荷を運び、運搬業者には頼まなかった、 だいぶ無理して建てた新校舎も、実はなかなかラクではなかったようです。峰岸センセイが生徒のころです。

    たぶん峰岸センセイも知らないと思うが、事務所の奥の方でこっそりと、ぼくと小泉センセイと2人でセツの通信教育といシゴトをやってましたよ。 そのころは週一度の土曜科もあって、のちの永井博さんや川久保玲さんは土曜科だったと思います。

    ぼくがセツを退職して間もないころ、ある日に、卒業生の何人かが我が家に遊びに来てのことです「私のお母さんはセツの通信教育を受けていたんですよ」という言葉で、僕はウン!としてまった。

  8. トリイツカサキノ より:

    1926年~2002年在籍ってすごい!
    星先生のお話、もっともっと聞きたいです。
    初期のエピソードや知っているけど書けない話。。。もういっそのこと本だしてください〜!

  9. 星信郎 より:

    トリイツカ サキノさん ありがとうございます。

    久しくお会いしてませんね、僕もう88歳です。 昔のことは忘れてしまいましたー、 でも、楽しかったことだけは忘れません。
    トリイツカさんが絵ウマかったこと、早川タケジ君のとこで働いてたことは憶えてますよ。 大型コーヒー豆ひき器が懐かしい。

  10. 内川ひとみ より:

    昨日書いたのに、チェックしてみたら、載ってなかったので、内容は1日経つと忘れてしまう鳥の様な私なので、書き直しには違うことを書いてるかも知れません^_^。
    5年のうちには文章を載せる人が、もっといると思ったら、私の友達の1人も、想うことはいっぱいあるけど、文章が書けない、恥ずかしいと言う友達もいて、普段のメールでのやりとりみたいに書けば面白いし、書けるよと言っても星先生が指定してくた友達は、とうとう落とせませんでした。あと、書く事いっぱいあるから書きたいと言ってたヒ◯シ君は、入院の後、音沙汰がありませんでした。私たちの年代は元気な人ばかりではなくなって、先輩のトヨコさんもお元気だったのに亡くなってしまいましたね。セツ物語を書いてくれていたのがせめてもの安堵です。星先生のお話は知らないことも分かって楽しみにしてます。昔はセツ先生には言えないことも星先生なら言えると言った気やすさがありがたかったです。私も記憶力は良い方なので、あゝあの話ね。とか思って、セツ時代の青春が蘇って過去にタイムスリップできました。
    また後輩の人達の物語も知らないことばかりでも面白かったです。
    過去が、素晴らしいと、過去を思い出すことが幸せです。過ぎ去っても忘却にならないのって素敵な人生ですよね。その1ページが何ページもあるのだから。生きてれば嫌なことも沢山あるけど、記憶と言うのは良いことも悪い事も思い出です。
    夜1人になると思い出す忍び寄る運命の足音が、パダンパダンと。はいこれはシャンソンのpadam padamでして、私の十八番です。えへ

  11. 星信郎 より:

    内川ひとみさん ながいお言葉ありがとうございます。

    何でしょうね、へんですね、いま僕も返信しましたがウマク載らないので、もう一度ためしています。 また同じことエラエラですね。

    ひとみちゃんは今もシャンソン歌ってるんですね。セツ先生もシャンソン大好きだったから、セツの校歌は「サンジェルマンデプレにもう用はない」をパクって「セツモードセミナーにもう用はない」でした。
    スケッチ旅行のバスの中では穂積和夫センセイのギターに合わせての大合唱でした。卒業式にも歌いましたよ。ひとみちゃん入学したころは、もうやってなかったのかな?  ところでヒ0シ君??? 誰でしょう、心配ですね。

    • 飛鳥井 恵 より:

      ずいぶん以前にこのサイトを教えてもらいました、時々拝見して楽しんでいました、私もいつかこのサイトに載せてみたいなと思いながら時間が経ってしまいました、絵も描かなければならないし!久しぶりに訪れてみたら、なんだか気楽にやり取りしているようで、思わず入ってしまいました、今日は12月25説でクリスマスです、でも私はもう80歳になってしまって、クリスマスは遠い昔です
      今は山中湖の畔に一人でのんびりと暮らしています、幼稚園の2階でデッサンの授業を受けた一人です、なつかしいな~
      セツ先生の本を時々読み直して、改めてセツ先生の考えに敬服しています、今でもセツ先生に出会えて本当に良かったと思えます
      山の中で一人で暮らせるのも、セツ先生の教えがあるから、楽しいのです
      星先生とも暫くお会いしていませんね!先生に手料理も一度ご賞味させて戴きたいけど、この所あまり山からおりません、残念です
      でも先生の文を読んでいると、先生とお話しているようで楽しいです、また訪問させてくださいね。飛鳥井こと さいとうです

  12. 星信郎 より:

    飛鳥井 恵さん  お久しぶりです、コメントありがとう!
    まず何よりお元気そうで、良かった良かった! セツの高樹町時代は遠い昔になってしまって、今では、ここ東京にいても穂積先生や小泉先生とも、めったにお会いしてない、柳生君も長野県の黒姫山に行ってしまったしね。峰岸君だけは、たびたび会う機会があって世間話に花を咲かせていますよ、彼のやってるイラストレーション教室 MJは大繁盛で、元気いっぱいです。池田Bowくんも、高井戸、 僕の近くです。

    あのころは誰でも皆んな貧しかったね、自分専用の電話なんて夢だった、しかしそれでも楽しかった。 いまを昔になすよしがも。
    東京へくる機会にはぜひお立ち寄り下さい、その時は小泉先生にも声かけてみます。

    • 飛鳥井 恵 より:

      星先生 お返事ありがとうございます、お返事がいただけるなんてうれしいですね、80代になって初めての年も、きっとアッという間に過ぎていくのでしょうね。新年は天気が良く、富士山も雪を被って美しく輝いていました、
      この所。小泉先生や直子さんにも連絡してなくて、元気にしていらっしゃるかな?と気になっています、
      私たちの時代,セツゲリラが立ち上げられた頃 挿絵からイラストという言葉が使われたころですよね!思えばずいぶんと昔ですね
      そのころの方達も懐かしいです、もし見ていらしゃる方が何コメントしてくださるとうれしいです。

  13. 飛鳥井 恵 より:

    このセツモードのコーナーの思い出の話は、クモの糸のように彼方此方にゆながっているのですね、
    出来たら全文拝見したいとおもっていますが、中々歳とると長い時間PCにむかっているのが疲れてしまう、お願いです急にパタンとクモの糸を消さないで下さいませ、お願いします
    幼稚園の教室で授業を受けていた、我々?というほど多くは残っていないのでしょうか?残念です!
    わたしもあと10年もしたら、あの世でセツ先生とクロッキーを描きたい!!描けたらよいな~~

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