わかってないねぇ。セツ先生には僕はいつもそういわれていた。年に何回か作品の合評会があるとき、僕の場合はいつもそうで、自信なくしょげかえっていたのである。自分の感性で捉えた美しさを素直に表現するのよ。それが大事でしょ。先生がいわれていたのはそういうことで、その時にはきれいに描くことをよしとしていた若い自分がいたのである。セツモードセミナーに通うような子らは、絵の習いと共に感性を育むためにやってきていた。特別講師でセツ先生に呼ばれて、穂積和夫さんら時代をときめく一流イラストレーターの教授を受けられたのも魅力的な場であった。そういうセツ先生に影響を受けた先達の絵描きたちに直に会えたことは、先生のおかげなのである。
あるとき、休憩時間にコーヒーを飲んで友人らと談笑していると、セツ先生から、あなたベッドルームにブーツがあるから取ってきてと言われて、おそるおそる階段を登り先生のプライベートルームにたどり着いたのであるが、内心ドキドキして不安を隠せない。ドアを開けると薄暗い部屋には確かにベッドがあって、ブーツがかたわらに置いてある。そういえば先生は毎日白いシーツを取り替えるのだと聞いていたことがある。そしてブーツを手に取りそそくさと部屋を後にしたのであった。後にも先にもセツ先生のプライベートを垣間見たのはこのときだけである。
松岡正剛さんの「千夜千冊」のウェブサイトで長沢節の著書「弱いから、好き」の書評の回がある。彼はいう。昭和と平成の世に生きて「弱いから、好き」ということをモットーとした男のことをもっと知ってほしいと。脚フェチでお洒落で、自由とガリガリ男と思い切った女だけを偏愛し、ついに独心と独身を貫いた男のことを。みなさんが言っているように、背筋がシャンとまっすぐに伸び、大地に足を大きく広げてデッサンをする様は生涯忘れられない。そういう人間が目の前にいたのである。
三反くん お元気らしいね。
セツ先生愛用だったブーツだけがひっそりと描いてある、懐かしく、ちょっと淋しくもなる、にくい表現ですね。
近ごろは、めったに見かけないブーツ姿ですが、当時はブーツ大流行、セツ先生も御多分に洩れず、しかも自分でデザイン(ちょっと上底)してかっこよかったね、得意そうでしたね。
先日、コロナ禍もやや収まって久しぶりに、北村範史くんが主宰してる代々木デッサン会に参加しました。そこでは昔セツの生徒だったという女性が来てました。彼女がセツの生徒だったあるとき体調を崩してしまったそうです。そのときセツ先生は心配して自分のベットで寝ませてくれたそうです。 危ない危ないイイ話でした。
セツ先生の姿といえばブーツは欠かせませんね。星先生は当時はトップサイダーのキャンバスなんか履いていたのを覚えています。