29歳で入学
ある意味、背水の陣とも思える時期でした。
入学前の展覧会を見て皆同じような絵を描く学校、そんな印象から始まった。
初めての人物水彩の授業の日、セツ先生が教室を覗きに来て学生に聞こえない程度の小声で僕に「この絵ちょっと良いぞ」と一言、まるで魔法の言葉をかけれたようにその日を境にセツモードセミナーにのめり込んでいく生活が7年近く始まった。
先生の考えや発言、行動、ここにあるものは全てと思うくらい受け入れて、描いて描いて描いたことを思い出します。
僕は午後のクラスで休憩が長く、また校内の居心地の良さもあり先生達や先輩、同級生とのおしゃべりは魅力的で長い時間話をした。もちろん授業の後も友達と絵の話、今日のモデルの話、信じられないほど多くの話と無駄なおしゃべりをした。
何も教えてくれない学校と言われたり言ったりしていたけど
描き続ける
色や構図
友達
シックで自由
下品という言葉
意識したところを描く
絵に向かう夢中な姿
デッサンの時、他の人が歩けるスペースを空けて
良い絵が出来たからとスケッチ中の全員を止めてみせる先生の思い
先生のすべてがお手本だった。
そして、自分で気付くことを教わった。
僕たちは皆、セツっ子。
セツ先生、先生達、とても人間臭くって、とにかくカッコよかった!!
太田君が、デッサンのモデルをしたとき、きものを着た姿はなんともユニークだった。着こなしが、あだな姿の乱れで粋で。そのころは29歳オトコさかりで、よくモテていましたね。
それが今では、大学のセンセイだ。なるほど、昔から太田君は、友情あつく面倒見のよい人であったようだし、、、それより何より絵のセンスが抜群で、とくにセツアート展では、太田君の作品の前で思わず唸ってしまったよ。だから、セツっ子の太田君のエスプリが、今は武蔵美まで伝わってるのかもね。ホシ
星先生
素敵なコメントいただいてとても嬉しいです。
当時、星先生から褒められたり、酷評もらったり、いろんなお話しを学校やバカラ亭、マリンテラスでも聞かせていただきました。
そんな先生の雰囲気が校内で自由に学べる僕たちを支えてもらっていたかもしれません。
あれから20年ほど経ちますが、これからも素敵ないつもの星先生でいてください。
そう言いながらご無沙汰しております。