外房線の横揺れが心地いい…
上総一ノ宮で木更津行きに乗り換える…
いつも曇ってたっけ、大原は。
曇り空の下でスケッチさせられて、曇り空と海が美しいって教えてもらって…
いつでもどこでも絵を描くんだよ、と教えてもらって、
それからいつもそうして、すごく楽しかった。
デッサンの時間は、いつも足が入りきらなかった。
みんなのパレットは綺麗だったけど、俺のはすごく汚かった。
学校では、一人で庭にいる時が一番緊張しなかった。
初めて大原に行った時、『晴海』のオバチャンが描いたばかりの絵を食堂に貼ってくれた。
「アタシが生きてる間は、ずっとここに貼っといてやるよ」って。
画箱と三脚を積んだ自転車に乗ったセツ先生が通り過ぎていく…
遠いとこからでも、出で立ちとイーゼルに向かう姿勢の良さから、すぐに先生のそれとわかる。
何かアドバイスして欲しくって、そばで描いてみたり、離れたところに行ってみたり…
村松先生はいつも壊れた屋根の下で絵を描いてたっけ。
今思えば、その方が色が見やすかったのかも…
初川先生は話しかけやすくって、挨拶すると笑顔で返してくれたっけ…
雨が降ってたとき『晴海』の2階で星先生と絵を描いたことがあったな。
あの時は、地元の不良とケンカしてメチャクチャ殴られて絵を描く気力もなくなってたっけ…
「殴られ損だね」って星先生が笑ってくれたんですごく助かった。
『晴海』ってここだっけ?
屋根の上に船が乗ってたはずだけど…
やっぱり移転したんだ…
あの頃は、どこで絵を描いてたんだろう?
ここだっけ?
それともあっち?
見覚えある椰子の木の先に『晴海』の看板があった。
オバチャン元気かな?
30年ぶりだし、俺のこと覚えてるかな?
まだ絵は飾ってくれてるかな?
あのころの後藤義孝君はちょっと不良ぽっく見えてね、こいつは陣内孝則みたいな奴だなぁと思ったよ。のちに知ったのが、後藤君は銀座そだちの江戸子だったそうで、ぼくは羨ましく思った。
その江戸っ子が、大原漁港の写生会で地元の不良とぼこぼこヤリあって、どうもだいぶヤラレたらしく顔がデコボコに腫れあがっていました。残念、地元にはかなわない。
ある年には、晴海食堂のおばちゃんが言ってましたよ、ゴトー君がよ、ビールをたくさん持って、海辺で皆んなに飲ませてるんだよ。それを聞いて、そりゃ心配だなぁ。
この時期になると毎年懐かしく回想する大原漁港、後藤君たちは先ごろ訪れたらしいが、なんだか昔とは様子が変わってしまったらしいね。時は過ぎて、こころの旅路が伝わってきました。後藤君は文才もあったんだね。
6月23日はセツ先生の命日です。ホシ
星先生、俺、今も不良ですよ(文字通り不良品の不良)。
30年ぶりの大原は、前よりいろんなものがいっぱい見えました。たぶん、あの頃は酒飲むことばっかり考えてて、まともに風景さえ見てなかったんだと思います。最近は酒も飽きてきて、やっと景色だとか、そこにある色とかちょっとは見えてきたような気がします。
また、星先生と雨の日に絵を描きたいです。
素敵なコメントありがとうございます!
あの頃はめちゃくちゃやってるようでいて実は真面目に描いていた気がします。大原の不良には真面目に絵に取り組んでいたゴトー君が強そうに見え他ので先手必勝とばかり攻撃したんだと思います。その頃から後藤さんとは仲良くなり広範囲にスケッチに行きました。その作品を図々しくも先生方に見ていただき本当に有り難うございました。今思うとそんな恵まれた環境で勉強できたことを感謝しています。
善ちゃんにも沢山のことを教わりました!いろんな事が起きる場所、いろんな風景の中に連れてってもらった。晴海のオバチャンが、めちゃくちゃ会いたがってたよ、善ちゃんに。
(相変わらずメチャクチャ口悪かったよオバチャン)。
俺も今年に入ってから、キャンプしたり絵を描き始めたりを再開しました。やっぱり、そうやってるほうが断然に楽しい。