金城霊沢(きんじょうれいたく)

金城霊沢

 兼六園の隣り、金沢神社の側に金城霊沢はある。その入り口の立て札にはこう書いてある、「昔、芋掘藤五郎がこの泉で砂金を洗い『金洗沢(かなあらいのさわ)』と呼ばれていた。これが金沢の地名の起りである」。この街中の泉が「金沢」の地名由来の場であり、ぼくはここが金沢の中心点であると思っている。
 偶に朝早く、白竜が棲むと云われているこの霊沢にお参りに来る。手を合わせ拝んだ後、泉の黒い水面が美しく澄んでいることを確かめるようにじっと眺めるとぼくは、金沢はまだ大丈夫だな、と少し変なことを心の中で思う。この泉の湧き水が澄んでいることが金沢の生命であるような気がするのだ。新幹線が開通して六年目。街中の変化は激しくコロナが始まる前は至るところで土地が掘り返され新しいものが建ち、街の観光地化は今でも止まず進んでいる。金沢は「金沢」を消費しながら少しずつ痩せ細っているようにも見える。その中、ぼくはこの泉には変わりがないか時々確かめにやって来ては、変らぬ姿を拝み、また安堵して帰って行く。
 金沢はいい街だ、街には色気、何処かしっとりとした雰囲気があるが、それが何なのかは誰もよくは知らない。保守的な街であるから余り大きな変化も望まないし、災害も少なく戦争のとき空襲にも遭っていないので、古い街並みもそれなりに残っていれば、人の性質も至って穏やかである。美食や美術工芸の街としても有名なようだ。だが、この街の魅力の源はもっと別のところに由来している気がぼくはずっとしているし、今もその答えはよく分からない。だから、この霊沢に答えを探しにやって来るのかもしれない。きっとこの泉の奥から不可視の「金沢」が湧き出ているのだ。ここが「金沢」のヘソであることは間違いなさそうだし、芋掘藤五郎の伝説もきっと加賀藩の歴史よりも古いのではないかとぼくは根拠無く勝手に思っている。
 街には変わるところと変わらないところの、そのバランスが大事だ。この霊沢のように何時までも変わらず湧き出る美しい泉が街の中心にある、ということを大切に思わないといけない。金沢が何処もかしこも観光仕様になってしまったら、もうそれは「金沢」という街ではなく単なる娯楽場でしかない。
 ぼくは何時までもこの霊沢の水面が澄み渡っていることを心から願う一人である。水香る風情や路地の暗がりを大事に思わない街は何れ枯れていくと思う。

金城霊沢