能登の宇宙 - コスモアイル羽咋

コスモアイル羽咋

 羽咋(はくい)市歴史民俗資料館に所蔵されている幕末に出版された「鹿島町史」にこんな奇妙な一節がある、「秋に夕暮れていつしか夜となるや、西山(眉丈山)の中腹を東より徐々に西に移り行く怪火をそうはちぼん、或はちゅうはちぼんと言う」。「はちぼん」とは麦わら帽子状の仏具のことらしいがこの一節を羽咋市職員が84年に偶然発見したのが全ての始まりである。
 翌年、男女12名の青年たちにより「羽咋ミステリークラブ」が結成され、羽咋の町は『UFO神話』のほうへと動き出す。町の商店街にも徐々に、UFOラーメン、UFOうどん、UFOパンなどUFOと名の付く商品が出没し始め、90年には市民の手で国際イベント「宇宙とUFO国際シンポジウム」を開催し成功させている。NASAから宇宙飛行士や当時のソ連から現職の空軍大尉や科学者を招き、9日間で45,200人が訪れている。またその翌年には自治省からプロジェクト指定を受け、「宇宙の出島・能登羽咋プロジェクト」が始動し始め、羽咋では「UFO&宇宙」をテーマに具体的なまちづくりが進んでいく。そのプロジェクトの中心になったのが「コスモアイル羽咋」で、「コスモアイル」とは「宇宙の出島」の意味。「コスモアイル羽咋」は96年にオープン、SETI(地球外知的生命探査)とUFO現象を主なテーマとする博物館は世界で初めてのもの。アポロ計画の月面車、アメリカ初の有人飛行船マーキュリー、旧ソビエトのヴォストーク宇宙船、これは実際に宇宙から帰還した機体で大気圏再突入の際の熱で焼けた跡がある。アポロ司令船、アポロ着陸船、旧ソビエトのルナ24号、これを見られるのは世界でここだけらしい。ボイジャー惑星探査機とそれに積まれている地球外知的生命体に向けたメッセージレコード。こういった宇宙に関するとても貴重な物が能登の羽咋で見られるという不思議。NotoでNASAを体感出来る不思議。

コスモアイル羽咋

 ぼくは思う。この「コスモアイル」、宇宙の出島は、能登だから可能だったに違いないと。Notoの大地の力に支えられて宇宙の展示物を見る。宇宙船や月面車をしっかりと受け止めている地霊のようなものがここにはあるのだ、と思う。NotoとNASA。Notoの大地に浮かぶNASA宇宙船。とても面白い風景だと思う。それと思うのが、この風景を産み出したHakuiの人たちのエネルギー。古文書の一節に書かれているところから始まりここまで突き進んで来てしまう『真っ直ぐ』なエネルギーの持続。普通ならばもう少し常識にとらわれ躊躇するところを見事にこんなポエティックな風景を作り出す、そのストレート・エネルギー。Notoは天才的土壌。NotoだからこそNASAもUFOも輝けるし、何処か自然と見えてしまうのだと思う。恐らく、Notoは少しだけ宇宙に近いのかも知れない。Notoは『無』なんだ。そう、NothingnessのNoto。偶然にも共に最初の三文字は同じ綴り。『無』は強くもあり、創造の母でもある。
 羽咋に車で行き、パン屋でUFOパン買い、コスモアイルで宇宙船眺め、売店でNASAロゴ入りキャップを買う。UFOパンかじりながら、キャップ被って帰路へ向かうその車で、夕刻の大地の上を能登の地力を感じながら、ゆっくり走る。ぼくの言うNotoの Nothingnessも満更デタラメのウソじゃないと、そのときに分かって貰えるかもしれない。

コスモアイル羽咋

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