レコード・ジャングル 中村政利さん Part1

レコード・ジャングル

 ユニクロのディスカウント棚カゴから安い洋服を探して買うのがぼくのお気に入りだ。ユニクロ商品のメインストリームから落ちた物の中には意外と面白いのがあり、偶然に面白い物を見つける楽しさがこのディスカウント棚にはある。あるときふと思った。ユニクロで意外な面白い物を見つけるのをセレンディピティと言うのだろうか、と。ユニクロのセレンディピティ。言葉の響きは面白いが、ぼくの答えは、ユニクロにはセレンディピティは無い、起こらないと思う。セレンディピティとは全くの偶然で思いがけないものを発見することを言うのだが、ユニクロのように人を含め全てが管理された場所ではセレンディピティの余地は先ずないだろう。少し雑然と見えるディスカウント棚でもそれはないと思う。それが生じるにはカオスとまでいかなくても偶然性の入り込む余地が必要だし、それは稀に啓示めいた感じすらを伴うものだ。セレンディピティは非効率的な場所から生まれるものだから偶然性が排除されればそれは生じ得ない。先日、何処かでテレビを見ていたらネットビジネスの経営者が、ウェブの世界にもセレンディピティはある、と話していたが、グーグルの鬼のように何も漏らさない検索エンジン支配する世界ではセレンディピティは無い、と思う。
 一年近く前のこと。金沢の近江町市場の近くにある「レコード・ジャングル」で、ぼくは脚立に登り、壁高く一面に並べられたレコードを眺め、バッハの平均律のレコードを取り出そうと棚に手を掛けると「クラシック声楽」と書かれた横に「シブがき隊」「郷ひろみ」と書かれた見出しが同じ視界に入って来る。ぼくがこの有名な地元レコード店に改めて興味を持ったのはこの少し不思議な眺めが切っ掛けだ。その一見ミスマッチな眺めが面白く思えた。レコード棚が整理され過ぎておらず、棚に「遊び」があるようにも見える。ここにはお客を「遊ばせて」くれる何かがある気がしたのだ。お客が何を選んで買うかを決めるのに、最後は貴方の力で選んで下さい、こちらは余計な介入はしませんから、とでも言っているようなのだ。そのときセレンディピティについても考えたのかもしれない。セレンディピティの匂いをぼくはこの中村さんの店「レコード・ジャングル」から恐らくそのとき嗅ぎ取ったのだ。

レコード・ジャングル 中村政利さん

 「小学校に入ったのが昭和38年で、津幡町の小さい小学校で一学年一クラスで29人。その29人が六年間そのまま持ち上がるんです。先生もね、師範学校を出た先生がまだ多くて、音楽の授業も今から考えると音楽じゃないですね、唱歌ですわ。皆で先生のオルガンに合わせ教科書の曲を歌う。五年生のとき三浦先生という音楽専任の先生がいて、音楽というのは音符があったり休符があったりして一つの枠の中にリズムがあってそのリズムに合わせて音符を配置していくこと、ある意味数学みたいなもんで、そうやって作っていくんだって教えてくれたのが切っ掛けで、まあ理屈から教えてくれたんです。そしたら、ただ歌えばいいもんだと思ってた音楽がちょっと面白いものなのかな、どういう理屈で出来てるのかな、って興味が湧いて、五年生のときに音楽の成り立ちについての本を図書館で借りた、それが切っ掛けで音楽好きになちゃってね。それで音符が読めるようになってね、それから中学生になって家にあったトランジスタラジオを聴くようになるとテレビの世界では日本人歌手が日本語で歌うものしかないのに、ラジオの世界では外国の歌が聴けるってのが大きくてね、突然ね、世界が開けた感じがした。今まで閉ざされてた世界がラジオを聴くことでワーッと広がったようなね。それで小六から中一にかけて初めて洋楽ってものを知って、目から鱗でショック受けて、北陸放送のラジオで。その当時のアナウンサーに葉書でリクエスト送ったりとかしてラジオ通して色々教えて貰いましたね。中でも一番夢中になったのがビートルズで、これは凄いぞ、って。洋楽聴くようになったときに流行ってたのが「サムシング」、それがチャートから落ちてくると寂しくなってきて、次に「カム・トゥゲザ」がチャートから落ちていくと淋しくて仕方なくなってきて、これって何だろうなって、中一から中二にかけてビートルズ狂いでしたね。それから何とかビートルズのレコードを集めて聴かなきゃ、って。小五から新聞配達のバイトしてたからお小遣いは沢山ある、親に、くだらないもんばっかり買って、って怒られながら、叔父さんが置いてったラジオとアナログプレーヤーを繋いだ機材で聴いてたんだけど、それが鳴らなくなって、お袋と約束して、学校で成績20番に入ったらポータブル買って、って。それで買って貰って。学年で一番なったときはステレオ買って貰って、何でそんなくだらない約束するんだ、って親父は怒ってましたね。中二の五月に「レット・イット・ビー」という(ビートルズの)アルバムが出たんです。高くて買えないんです、普通のアルバムは二千円だけれどそれは写真集付きの豪華版だから三千九百円なんです。カートンボックスに入って写真集が付いてて、いいないいなぁ、って思ってるうちに話題だけ盛り上がってきて。70年の10月頃かな「レット・イット・ビー」の映画が金沢にも来てね。親に買って貰ったばかりのカセットデッキ持って、「武蔵テアトル劇場」っていう映画館を足が棒になるくらい歩いて探したんだけど見つからなくてね。途方に暮れてると、そうだ映画の終わる時間に映画のパンフレット持って歩いて来る人を逆にたどって行けば映画館見つかるんじゃないかと思って、大学生らしき若者がパンフ持って歩いて来るのを逆にたどって行くと映画館が本当にあったんです。それで、中に入って前の人の座席の背もたれにマイク置いて、こっそりレコーディングしてカセットテープに取って。それで結構楽しみましたね」
 今の若い人達には想像もつかないだろうけど、ケータイもインターネットもない半世紀前の時代に「何かを探す」とはこんなにもエネルギーの要ることだったのだ。ある意味この不便さ情報の少なさは幸せなことだったのかもしれない。暗い映画館の背もたれにマイクを置きカセットにビートルズを録音する十四才の少年。今の世の中にこんなスリリングな体験は中々に不可能だと思う。

(続く)