第十九回 竹の居場所、人の居場所

私は竹を用いてものを作る仕事をしています。と同時に、ものだけ作っていて良いのだろうかという疑問をずっと抱いてきました。竹で作られるものは、日用品にせよ美術工芸品にせよ、器や道具として人の手の延長となり、何らかの用途を充たすために生み出され、その歴史を百年千年と紡いできました。しかしながら、そうした手の延長としての竹の活躍の場は徐々に減りつつあると感じますし、それは自然なことだと思います。元来が用を目的としている以上、より機能の高いものが発明されれば古いものが駆逐されるのは避けられません。

それでも竹の居場所が残っているのは、手の延長としての用のほかにも重要な役を秘めているからかも知れません。そもそも昔の日本人は竹で出来た家で生活していました(第三回参照)。竹の器を人が扱うだけでなく、竹の器が人の住まいだったというわけで、竹の家という胎内で育った時の記憶はきっと残っているのでしょう。そうした心地よい人の居場所をつくる役目が、竹にとっての古くて新しい居場所になるのではと考えています。その一環として最近こんな仕事をしました。
 

(左)土壁の小舞をモチーフとした造形物(中央)立体的な造形と陰翳(右)美術工芸的な細部への配慮

壁面装飾としての造形物です。昔の日本の住まいには欠かせなかった竹の小舞をモチーフに、現代の空間にしつらえる造形物として制作しました。こちらの御宅は、リノベーションにより天井を高くすることで古い梁を露出させている部分があり、そうした意匠や、洋室としての全体に調和する、抽象画のような佇まいを意識してデザインしています。制作においては、シンプルな造形ではありますがあくまで格を失わぬよう、上質な材料の選別から小口の処理、交点の装飾仕上げといった細部に工芸的な手法を応用し、左右非対称の形状ながら中心付近で重心をとるといった配慮をしております。

こうした個人の方の住まいや、旅館やホテルあるいは飲食店といった商業施設など、人の居場所を心地よくする空間づくりという領域が、竹そして私の手・頭をこれから働かせるべき居場所ではないかと、新しい可能性を感じています。日本の方にも異国の方にも、懐かしさと新しさを感じて心地よくなって頂ける、そうした仕事ができれば竹を用いたもの作りの歴史は続いてゆくでしょう。

 

 

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