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人生の水彩

コヨセ・ジュンジ(イラストレーター)
1970年~1975年在籍

人生で最初の「解放」は、やっと入った高校の一年の時に遭遇した弁論大会で起こった。
 壇上の学生の弁士に向かう嵐の様な野次に先ず驚き、それがケンカにならない事に二度驚いた。
 その言葉の礫は純粋に言葉であって、野次はその遊びで、暴力とは無縁であるらしい事が分かって、中学という言葉が簡単に暴力へのキッカケになる狭苦しい野蛮な世界から文明の地へ逃げおおせた様な気がして、心の底から喜びが湧き上がって来たのだった。

それから大学の入試に落ち、もぐりこんだ専門学校で、死ぬ程退屈なそうに授業を受けていると人に言われる日々、世の中にイラストレーターという職業が現れ増えているのが気になりだした。
 絵は好きだったけど、美大に入って絵描きになるなんて最初からあきらめていたが、ある時「こっちへ行こう!」なんて無謀にも考えてしまった。
 イラストレーターを沢山輩出しているらしいセツに、人生を賭ける様な思いで向かったのは四年制の専門学校の二年を終了した時だった。

セツ・モード・セミナーの受付で一人説明を受けていた時、上の方からヒラヒラとピンクのシャツと白いパンタロン(だったと思う)の長沢先生が、例のアイヨ!って感じで降りて来た時は、俺の選択は間違っているのかと疑ってしまった。そして始まったセツの初級には、ただ遊びに来ている様な人達に驚き、初めて絵を描きますみたいな人達に驚いた。その下手な絵を長沢先生がほめるのには多いに驚いた。おまけに俺の水彩は「色が汚い」とバッサリ。
 しかしその初級という半年間は、古い稚拙な価値観からの時間をかけた解放だった。
 美に対する素直な態度、その上での創造。何より目の前で長沢先生が、つまらない常識を軽々と越えて生きている事が学びだった。男らしさを強調する事の愚かしさを学んだ事は大きかった。

そんなある日、セツの先輩であこがれのイラストレーター柳生弦一郎さんが(紙数が尽)

以上です、しりきれとんぼで終わります。

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  1. 星信郎 より:

    コヨセ君 それでどうした!と思ったら、あれあれ、オシマイか? 
    そうだよね、僕だって柳生弦一郎を語りだしたら枚数何枚あっても足らないと思うし、あいつは、あうゆう奴だ。 
    元気かなぁ柳生君は。

    ところで、おまいたち! 6月23日はセツ先生の命日ですよ〜。 今回はコヨセ君が、かっこよく描いてくださって、先生はさぞご満足と思います。星

    • コヨセジュンジ より:

      星先生お元気ですか。ご無沙汰しています、すみません。
      人生を賭ける思いでセツを選んだのは正解でした。

  2. コヨセジュンジ より:

    一言だけ。
    柳生さん、峰岸さん、池田さん、たいへんたいへんお世話になりました、ありがとうございます。

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