自ら先生と呼べる人に出会う。それはとっても幸運な事だと思う。
売茶翁と聞くと、セツ先生を思い出す。
売茶翁は江戸時代中期の京都、画家の伊藤若冲や池大雅、与謝蕪村その他、国学者や博物学者などの中心にいた風変わりな老人だ。
高僧という地位を捨て、当時の文化を生み出す若者達が集う喫茶店の気まぐれオーナーで 日々を過ごした。
個性と自由を尊重し、精神の解放を解いた売茶翁。
わたしは密かにこの二人は似ている、と勝手に思っている。
セツ先生の身近にいて学ぶという事は、受け取る側の自由な選択の連続だ。それはそれは手強かった。
生まれて初めてそんな先生に出会った。
私にとって、セツ先生は今だにカッコいい大人No.1である。
飄々として全く掴み所のない、矛盾多き魅力的な人間だ。
お洒落で洗練されているのに、トイレットのドアーを開けたまま用を足す。
コーヒーを淹れるのがうまい、もちろん絵も上手い。
一人で佇んでいる姿が様になるのは、確固たる自身のスタイルの塊だからであろう。
床から少し浮いているのかと思う程に足取りが軽い。(先生の生き方そのものだ)
売茶翁は僧であり、セツ先生は絵描きである。
立場は違えど、二人とも人々が自然に吸い寄せられてしまう、すごい引力を持った人間に違いない。
セツモードセミナーも売茶翁の喫茶店も同じ手強い『自由の学校』だ。
セツ先生に、売茶翁に似てますね、と言ったらなんと答えてくれるだろう。
先生のことだから「お前江戸時代に行って見て来たのか?あんな爺さんと一緒にするんじゃないよ!プ!」かな。
でもこれは私のセツ先生に対する賛辞なんだよ。
きっと売茶翁も先生みたいにカッコいい大人だったと思うよ。
なぜなら当時彼を慕い集まっていた人達は時代を超えて今も多くの人々を惹きつける素晴らしい文化を生み出したから。
彼らの活躍の影に売茶翁あり。
セツモードセミナーから旅立った多くの才能の影に、長沢節あり。
先生に出会えた私は幸運だ。
岡田歌織さん こんにちは。 そのころに、セツでお世話になっていました星信郎です。
セツ先生を売茶翁に見立てるとは、なんとも面白いお話しです。
むかし僕たち生徒のころは、セツのコーヒー50円でした、それを100円に値上げするのに先生はだいぶ悩んでいましたよ。
コーヒー時間には、、、世間話とワイ談冗談、いちばん多いのが自慢話で。「ここでは宗教は駄目よ!ここはセツ教だからね」 そんなこと言ってたセツ先生でしたが。
たしかに先生は、高僧のようにおごり高ぶらない生き方を貫いてたと思いますが、「先生ケチね!」とからかう人も沢山いました。 そんなワイワイガヤガヤが懐かしく思います。
岡田さんの独創的な発想の絵と文、とっても面白かったです。星
星先生、こんにちは!お久しぶりです。先生からのコメント、思いがけず本当に嬉しかったです。ありがとうございます。
在学中、私は全くの劣等生で、ろくに絵も描かずコーヒーを飲んではセツ先生を眺める日々でした。
独創的で面白かったですか?星先生に言ってもらえると、うきうきします私。
セツ先生のおごり高ぶらない生き方、はい、それを言いたかったんです、言葉にしてもらってわかりました笑。
ワイ談と自慢話、ふざけた笑い声、何にも囚われない自由な精神、潔さ、美しい色彩、50円の値上げに悩む先生。
ごちゃ混ぜだから魅力的なんですねきっと。
そんなセツ先生の身近で過ごせ星先生が羨ましいです。あ、でも身近すぎて大変でした?もしかして笑。
私 セツ先生より年下、歌織くんより年上、まだまだ花は散らず。
先生を手本に歳を重ねたいわ。
まったく あんなひと他にいない。
ゆりこさんはまだまだ満開にはほど遠いですから、これから花を咲かせてください。笑
親子くらい歳は違いますが、セツのお陰で貴女のような悪友に出会えて良かったです。