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セツ先生のふんどし

佐藤うらら(㈱にわと蔵 代表)
1988年~1990年在籍

遠い遠い時間の向こうに 私の人生を変えてくれた人がいます。

どうしてセツに通う決心をしたのか、どうしても思い出せません。ただ、初めて校舎のあの階段を上がった入り口に「下品な缶ジュースは持ち込まないこと」と手書きで書かれたあの文字にとても惹かれたことは確かです。

黒い鉄のドアの向こうは別世界でした。

上品で自由なアートを自分で学び取る不思議な学校でした。教えることとそれを請うこと、ボーダレスな全てを私たちは鉛筆や筆、絵の具の偶然の滲みや発色から気付かされた、そんな夢中の日々でした。

『君たちが払った授業料はお賽銭じゃないからねー。ただここに来てたって絵なんか上手くならないのよー』

長沢先生は何も教えない、誰よりもただそこに居る事を、絵を描く事を、楽しんでいる人でした。

25年ほど前になりますがご一緒させていただいた写生旅行先のプロチーダ島でのエピソードをご紹介させていただきます。

その日は先生が宿泊されているお部屋の庭続きのテラスで長い長いふんどしが干されており「先生が普段からふんどしを愛用しているとおっしゃっていたのは冗談ではなかったのだな」とひとり、ほくそ笑んでおりました。

南イタリア独特の陽射しに白く輝き、勇ましくはためいていた光景が今でも目に焼きついています。
 長沢先生→ふんどしの噂→目撃者(私)
 なんとも得した気分で、南伊の美しいレモンの木とふんどしのコントラストを 鼠小僧のごとくさささーっと描きとめたのでした。

ちょうどその時間、先生が大理石のバスルームで滑って転び、全裸でお尻をたいそう打ったと後から知ったのでした。

先生、助けに行けずすみませんでした。

この出来事は墓場まで持っていくつもりでしたが先生が知ったら『おまぃ、ひどいねー~!
キューーッ(耳を引っ張る)』と、叱られること間違いなしです。
 そして、沢山の才能溢れる画友とのご縁がずっと今も続いていることも伝えたいです。

卒業式の日、臨月の大きなお腹を抱えて 大人しくしていたら思いがけず卒展の大賞をいただき、ノコノコ賞状を取りに人垣をわけて前に出たら「おまぃかーー!妊娠してたの!!」ってびっくりするほど大きな声で叫ばれましたね。

おめでとうと言われるよりずっとずっと先生らしくて嬉しかったです。

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  1. セツ卒生 より:

    セツ先生のふんどし何メーターぐらいあったんだろう?
    て、考えちゃいましたが、とっても面白かったです。
    絵も素敵。
    自由でセツのワクワクする空気が伝わってくるようです。

    • 佐藤うらら より:

      コメントありがとうございます。

      まるで一反もめんの様な、たなびく長さをご想像ください笑。

      ワクワクする自由とはひりひりする様なリスクもいっしょくたであることも教わったセツ時代でした。

  2. 星信郎 より:

    うららちゃん、うららかなお話と、うららかな絵と、素敵素敵!

    めちゃくちゃなドローイングが、めちゃくちゃ美しいです。音が飛び通い抜けていく、軽やかな色彩とシャープに強い線が心地よい、、、この空気感を現代印象派とでも言ってみたい斬新さです。

    プロチーダ島はセツ先生が亡くなった翌年、清水先生と僕も生徒に連なって、セツ最後の海外旅行で行ってきました。
    まるでパレットを開けたようにカラフルな小さな港や、大きなレモンが沢山なってる夢の中のような小島でした。
    あのホテルはレモン畑に囲まれて平屋で素朴で、のどかでしたね、、、もうその時にはセツ先生の空にそびえるフンドシは見れませんでした。

  3. 佐藤うらら より:

    星センセー。
    しばらくぶりに、描きました笑。
    ドキドキしました。
    この感覚は教室でデッサンしながら自分の描く鉛筆の線に委ねる不思議と似ていました。何にも変わっていませんでした。
    今でも未熟で何をどう描けるか、わからない自分が愛おしいです。

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