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絵の生まれる場所

小川 哲(イラストレーター) 
1998年~2003年在籍

セツに入る前、20代後半だった自分は大阪の大学を出たものの、そのまま大阪で向かう先がはっきりしないままフラフラしているフリーターだった。その頃から「なんとなく」絵に関わる仕事がしたいと思いつつ購読していたイラスト専門誌である学校の名前を見つけた。それがセツ・モードセミナーとの出会いだった。
学費が安いのと卒業生の活躍と。これだけの理由を頼りに、絵を選択したことの希望と、こんな自分でやっていけるのかという不安を同じくらい抱えて上京したのだ。やっぱり不安の方が大きかったかな。
つまり当時の自分にとって、裸で飛び込んだ「東京」とは曙橋の「セツ・モードセミナー」であり、「東京の人たち」とはセツ先生も含めた年齢も性別も職業も様々な「セツ・モードセミナーの人たち」だったというわけだ。もしも居心地の良くない場所だったら、ヘソを曲げて早々に逃げ戻って、今とは別のことをしていたかもしれない。
セツ先生にとって自分は沢山いる生徒のうちの一人でしかないのだけれど、ゆるく見える空気の中でしっかりと受け入れてもらっているという心地よさを実感していた。

思い出を仔細に振り返って物想いにふけるということを自分はあまりしないのだけれど、記憶の塊となって心にあるのは、セツ・モードセミナーの建物や庭とたくさんの人の往きかう気配の厚みのようなものだ。当時は、そこはただの「通っている学校の建物」であり、「その学校の庭」、「同窓生」くらいの意味でしかなかったのだけれど、あらためて思うとそこかしこにセツ先生の美意識は届いていたし、集まっていた人たちはセツ先生を好きだったり、惹かれていたり、場所も人もセツ先生のセンスのようなもので溢れた空間だった。そんな物事の総体を、絵の生まれる環境であるとか、空気であるとか、背景であるとか、といってもいいかもしれない。

こんなふうに言語化してみることもあまりないし、セツ先生もそんな話はしてなかったはずだけれど、無意識のうちに、ずうっと絵を描いていくために何を大切にしていったらいいのかということは間違いなくあそこで身についた。そして自分は、絵を描くこととか美しいとは何かということをずうっと今でも考え続けている。

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  1. 星信郎 より:

    小川哲くん こんにちは。

    ひさびさに透明水彩ならではの純に美しい絵が観れました。
    丸のような四角のような形が、整然と乱れて、くっ付いたり離れたり、そしてまたくっ付いて肩寄せあって。 この抽象的な情景はセツの小さな小さな庭らしいが。
    グリーンの色々たちが、それぞれ爽やかに心地よく美しい、全体まとまっても美しい。まるで上質な音楽のような思いです。星信郎

  2. 小川哲 より:

    星先生、こんにちは。コメントありがとうございます、とても嬉しいです。
    「音楽のような、、」とはそうかもしれません。学校はいまひっそりとしていましたが、そのぶん余計に昔のざわめきのようなものが感じられたように思いました。セツ先生の特徴ある高い声や、星先生の訛りのある話し方とかどんどんよみがえってくるようでした。
    また星先生の声も聴きたいです!お話ししましょう。

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