自分らしく生きることの素敵さ、強さ、潔さ、そして切なさ。
それを教えてくれたのがセツ先生だった。
急勾配のボコボコ坂をのっそのそと進んで、はあはあと息を弾ませてこれまた急なレンガ色の階段を上る。
へとへとになって扉をくぐるとそこに長沢セツはいる。
今日のご機嫌はいかがだろう?
休み明けなんかは、みんなといることが本当に本当にうれしそうで、にこにこ笑っていた。
そうかと思えば、やけに辛辣な批評ばかりする日もあった。
さっきまでそこにいたのに、ふといなくなってしまう、そんなときもあった。
ポッキーみたいなシルエットのおしゃれなじぃさんは、いつも気ままで自由。
いつも長沢セツであり、長沢セツでしかなかった。
「僕は僕の好き嫌いでものを言うからね。正しいことを言うわけじゃないからね」
ちゃんとしたことをちゃんという、ちゃんとした大人と出会えた喜び。
ここにいれば大丈夫。心の力がふぅーーーと抜けて、たぶんこのとき、わたしの人生は警戒モードから安心モードに変換された。
自分の「普通」を愛すること、自分の「普通」を人と比べないこと。
そして、自分らしさをつらぬく美しさ。
セツ先生は、そこにいるだけで、そのことを教えてくれた。
そして、わたしにとっていちばんの出来事。
ヨーロッパ展のオープニングでのセツ先生の言葉。
「こんなに素直な文章書けるやつ、なかなかいないよー」。
旅をしたヨーロッパ各地の紹介文を褒めてもらった。
なんと、絵の学校で文章を褒められてしまった。今になって思えば珍事件。
その言葉があって、今のわたし仕事、今のわたしのすべてがある。
今までのわたしの人生において最大の幸運は、母・純子のもとに生まれたことと、長沢セツと出会えたことだと思っている。
まだまだ遠すぎるけれど、母に追いつけ追いこせと、セツに追いつけ追いこせと、
わたしの人生の画用紙に、わたしなりのわたしらしい人生を、気の向くままに思いっきり描きたいと思う。
セツのように、かっこよく生きて、かっこよく死にたいから。
セツ先生の好き嫌いでもの言う面白さ、紋切型でない説得にはついつい引き込まれてしまいましたよね。 先生は自分の絵画も文章も生活も繋がってましたね。
ヨーロッパ旅行は金子さんたちと一緒が最後かな? 先生が亡くなってから一度だけ僕と清水先生も生徒につらなってイタリアの小さな島に行ってます。
金子さんの文章さすがです、共感しました。
星先生、うれしいコメントありがとうございます!
私がヨーロッパ旅行に行ったのは、最後から二番目か三番目の旅だったと思います。
ヴィルフランシュとニースは本当に素敵な街でした。
セツ先生と旅できたことは、ずっと大切にしたい、とっておきの思い出です。
自分の普通を愛すること、自分の普通を人と比べないこと、そして自分らしさをつらのく美しさ。ここを読んで、気持ちが和らぎました。軽くなった感じです。
セツに在学中は、セツ先生の言う自由がわかりませんでした。
金子さんはいつも明るく仲間に囲まれていて、私はうらやましかったです。
洋服を選ぶ時も、ふと、金子さんを思い出します。
頑固な私は、人の話を聞けず、頭に、心に入らず、苦しんでいました。
金子さんの文章を読んで、私は自分の意見を押し付け、人を馬鹿にしていたんだと思いました。
金子さん、ありがとうございました。ほんとうに気持ちが楽になりました。