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第5話 うっかり長居

星信郎(水彩画家)
1960年~2002年在籍

そうそう、生徒として学校に通っていたのが、いつの間にセンセイと呼ばれるようになったのか、という話ですね。1960年代はじめ、セツモードセミナーが麻布笄町のころのことです。

上野の都美術館で毎年春に開催した水彩連盟展の中で、長沢節、中原淳一、原雅夫、その他でスタイル画部をつくって作品公募。僕も出品、受賞もして、次の年の作品は『サンデー毎日』別冊の表紙になったりで、すっかり有頂天でした。そんなあるとき、セツモードセミナー生徒募集のポスターデザインで、レタリングの下手さを見かねて僕がやってあげたら、それが好評で、セツでも授業でやってみないか、ということになりました。しかし実は雑用も多くて、小泉寛センセイという同僚と二人でセツ先生のお手伝いでした。バイトのつもりが、うっかり長居をしてしまったわけです。

ついつい長いといえば、この「私のセツ物語」も、100回を超え、登場した人も100人を超えたそうですが、そのうち、もう四人の方が亡くなられましたね。岩﨑トヨコ、吉沢香代子、三原誠、おおのあき。若くして亡くなった方も多い。そういえば、同期だった 樹木希林(当時 悠木千帆)さんも。彼女は、おじさんがセツ先生とお知り合いで、そのご縁で通っていたような。ぼくはあの人の絵を、一度見たことがありますけど、感覚的、抽象的で、こういう絵もありかなあ、と思うような絵でしたね。樹木希林さんは、そのころはもう、文学座て俳優の勉強をしていて、最初の役がお手伝いさんで、嬉しそうに写真を見せたりしていました。

セツは、あのころが本当の寺子屋式だったかも。こうして蘇らせる記憶が多いのは、幸せと言うのでしょうね。ふと、誰かを思い出してはどうしているかな、元気にしてるかなあ、と思うことありますよ。ぼくも、もう、88。

(了)

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  1. 大橋未生 より:

    先生、こんばんは。
    また長くなってしまい、お恥ずかしいですが、書いてみます。笑

    先生が有頂天になるお話!とても新鮮ですね。先生若かりし頃の、”ワタリウムのおばちゃん”とのエピソードなども、今の若手は聴きたいと思いますよ。

    亡くなった4人の方々、内3人は親しくしていました。元気な歳上の人たちがぽんぽん!と旅立ったこと、今でもうまく受け止められない様な気がしますが、皆、最後まで好きな生き方を貫き通し、とても幸せだったんじゃないか…と感じる、今日この頃です。
    まことくんには、窓か扉を作ってもらいたかったなぁ、素敵な作品を残しましたね。

    以前、樹木希林さんと親しかった方と知り合い、セツに通っていたことは、亡くなる間近になってお話して下さったとか。オイワさんの存在も、樹木さんからお噂聞いたみたいでした。オイワさんとは直接会ったことはないけれど、(あの頃の人でオイワのこと知らない人いないんじゃないの〜とは、星先生のお話でしたね)その方は、川村都さんの会社で働いていたこともあるそうですよ。
    デビュー当時のエルトン・ジョンを日本に紹介するきっかけに一役買っていたり、引退直前の原節子さんなのかな、スタジオでお見掛けしたとか、私が気になる方々のお話も、オイワさんからはちらちらと聞かせていただいて。本当に貴重な時間でした。
    「威張る人キラーイ」と仰っていたオイワさん、いつもこちらの目線に立ってお話して下さり、そんな所も先生たちと共通した軽やかさですよね。けれど、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいますね…

    前回の先生の水彩画がパリの風景だったことから、セツのヨーロッパ旅行ガイドブックでもできたら良いのになぁと。
    (生徒の頃、ラウンジで先生の大原漁港の風景画をぽーっと見入っていたのも、良い思い出です。)
    参加された生徒さん達のお話を読んでも、どんなコースを、どんな風に楽しんだんだろう?と、気になって仕方ないです。セツに来る方は、旅上手な方が多かったですね。まだまだ旅行しづらいご時世なので、頭の中だけでも飛んで行きたいですね。

    私の中では、先生は永遠の78歳かもしれません…それとも65歳?先生に相談ごとをしに、女の子達が列を成していた風景も、懐かしい。笑
    よいお年をお迎えください。

    • 匿名 より:

      星信郎 より:
      2023年1月1日 12:51 AM
      大橋未生さん さつそくコメントありがとう! 今年も、もう直ぐ除夜の鐘。

      時は、どんどん過ぎゆくね、ワタリューム美術館長だった渡多利志津子さんとは長い付き合いだった。渡多利さんはセツの卒業生ではなかったが、渡多利さんが千駄ヶ谷にお住まいのころ、そこで毎週一度デッサンをする仲間でしたよ、仲間といっても3人だけだったけどね。
      その後に渡多利さんはオートクチユルの店を開くのだったが、いまあるワタリュームの真向かいでした。そして、その真向かいが金子功くんのピンクハウスでしたから、よく立ち寄ってお喋りしました。
      渡多利さんには、僕の絵をオートクチユルのお客さんへのプレゼントにするため、毎月5枚ぐらい買い取ってもらった、僕は大いに助かった。
      しかし、やがて渡多利さんは画商になってしまって、僕の絵には目も触れなくなってしまった。 なにせあそこはコンテンポラリーアートだもんね、
      でも僕は、渡多利さんとは最期まで友人でした。お別れ会には行かなかった。
      前回の絵はベニスの風景画です。ベニスは春夏冬と行ってますが、僕にとって、あんなに絵にならない所はないです。それに、どこへ行っても人人人ぎゅぎゅ詰、とても絵を描ける状態でないですよ。だからあの絵は、朝食前に、ベニスの早朝は霧が立ち込めて、街灯が薄紫に灯し、海水が、ひたひたと波打ち、小さな船乗り場がゆらゆら揺れていました。

      川村都さんは、まだ女子高生の制服姿で、家で描いた絵をたくさん持ってきて、セツ先生や穂積先生にみてもらっていました。高樹町時代でしたが、いつも一緒のお友達が居ました。 実は、この「私のセツ物語」の編集なさってた方、万年さんは川村都さんの生徒さんだったそうです。

  2. 星信郎 より:

    大橋未生さん さつそくコメントありがとう! 今年も、もう直ぐ除夜の鐘。

    時は、どんどん過ぎゆくね、ワタリューム美術館長だった渡多利志津子さんとは長い付き合いだった。渡多利さんはセツの卒業生ではなかったが、渡多利さんが千駄ヶ谷にお住まいのころ、そこで毎週一度デッサンをする仲間でしたよ、仲間といっても3人だけだったけどね。
    その後に渡多利さんはオートクチユルの店を開くのだったが、いまあるワタリュームの真向かいでした。そして、その真向かいが金子功くんのピンクハウスでしたから、よく立ち寄ってお喋りしました。
    渡多利さんには、僕の絵をオートクチユルのお客さんへのプレゼントにするため、毎月5枚ぐらい買い取ってもらった、僕は大いに助かった。
    しかし、やがて渡多利さんは画商になってしまって、僕の絵には目も触れなくなってしまった。 なにせあそこはコンテンポラリーアートだもんね、
    でも僕は、渡多利さんとは最期まで友人でした。お別れ会には行かなかった。
    前回の絵はベニスの風景画です。ベニスは春夏冬と行ってますが、僕にとって、あんなに絵にならない所はないです。それに、どこへ行っても人人人ぎゅぎゅ詰、とても絵を描ける状態でないですよ。だからあの絵は、朝食前に、ベニスの早朝は霧が立ち込めて、街灯が薄紫に灯し、海水が、ひたひたと波打ち、小さな船乗り場がゆらゆら揺れていました。

    川村都さんは、まだ女子高生の制服姿で、家で描いた絵をたくさん持ってきて、セツ先生や穂積先生にみてもらっていました。高樹町時代でしたが、いつも一緒のお友達が居ました。 実は、この「私のセツ物語」の編集なさってた方、万年さんは川村都さんの生徒さんだったそうです。

  3. 大橋未生 より:

    星先生、

    渡多利さんのお話、川村都さんのお話と、ありがとうございます
    前回の、ベニスの風景をパリと勘違いは失礼しました。
    でもやっぱり…先生の絵のお話、素敵ですね。言葉になるとまた、ふわふわっと先生の絵が目の前に浮かびます。

    〈了〉とありますが、今回で、星先生の連載は終了なのでしょうか?ペーター佐藤さんのお話も聞きたかったな…?などと、言い出したらキリがないですね。笑
    先生のコメントに、いつも元気を分けていただいていました。ぽつぽつとでも、続いてほしい連載です。

  4. 星信郎 より:

    未生さんへ そうです、これでオシマイです。
    ペーター佐藤には、生前、不義理なことをしてしまって悔いがのこる。 現在のペーターズギャラリーが、まだ木造家屋を改良してギャラリーにした頃のこと、そこで僕は個展をする筈だったが、その約束をなかなか果たせずご迷惑かけてしまった。 しかし、かわりに井筒啓之個展が開かれ大好評だった。だから、まあ、それで良いか!
    それから間もなく、ペーターの友人だった賛平君のデザインで現在のギャラリーを新築してますが、賛平くんはオイワの親友だった。オイワもペーターも賛平も、逝ってしまった。 偶然ですが、セツ先生とペーターの命日は6月23日、同日です。

  5. 大橋未生 より:

    星先生、
    ペーターさんのお話も、ありがとうございます!

    昨年の11月頃でしょうか、久しぶりに青山周辺を歩いていて、たまたまペーターズキャラリーの前を通りました。
    こういうデザイン、近頃見ないけれど、良いなぁと思っていたのでした。
    以前、オイワさんと六本木を散策中に、やはり賛平さんデザインのカフェを教えていただきました。名前も場所も思い出せないのが残念ですが、また通りかかることがあれば、お茶でもしたいです。賛平さんももう一度、ゆっくりお話してみたかったです、とても優しい方でしたね。

    ペーターズキャラリーでの、先生の個展も見たかったけれど…その頃は、私はまだ小学生かな?

  6. 内川瞳 より:

    星先生5話を見ないで4話にコメント書いてしまいましたが、そちらも見てくださいませ。
    まだ続くのでしょ?

  7. 星信郎 より:

    内川ひとみさん コメントありがとう!前回のも見ましたよ。
    早いものですね、「私のセツ物語」が始まって6年になるそうですよ。なにごとも終わりがあるから仕方ない、残念ながらこれでオシマイなそうです。 
    同窓会やりたいですね、ずっと昔は「おセツ会」とか言って、たびたび集まる機会も多かったが、セツ先生が亡くなってから燃え尽きてしまったね。せめても今度は、ちんまりと集まって旧交を温めたいもんですね。

  8. 星先生こんにちは
    私は2001年に在籍していた
    もりのじる と申します。
    近頃急にあの頃の様にデッサンがしたくなり、
    「セツの画板ってどんなのだったかな?」
    と思って検索していたら
    こちらのサイトに出会いました!
    星先生に再会できたみたいで
    嬉しくて嬉しくて
    感激しました。

    星先生に飯野和好さんのライブに
    連れて行って頂き、
    飯野さんに私が描いたイラストを
    見ていただいたり。
    今思うと、とても贅沢な体験でした。

    1年目の最後に
    自己流で布に絵を描き、
    教室に並べさせて頂いた時には、
    星先生に「よごし方が上手い」と
    言って頂き、
    とっても嬉しくて、
    今でもそのお言葉を大切にしています。

    現在の私は絵本を描くお仕事させて頂いたり、「ジルジリング」と言う名前でイラストを描いたりしています。
    絵本は、まだメジャーな出版社さんからは
    出ていませんが、
    企業様の絵本を描いたり、インディーズで絵本を出版しています。

    セツ先生とはお会い出来ませんでしたが、
    セツモードセミナーで学んだ事は、
    私にとってとても大きかったです。
    星先生には、背中を押して頂きました。
    先生の様な素敵な笑顔の大人になりたいです。
    本当に
    ありがとうございました。

  9. 星信郎 より:

    もりの じるさん こんにちは。
    ジルジリングさん こんにちは。

    とってもふしぎで面白いお名前なので? 検索してみました。
    明るく美しい絵がたくさん観れるのだが、お顔の写真が見つからない。残念無念!

    「よごしかたが上手い」そんなウマイこと、僕が言ったのかな? でも、よかった!
    それをずっと覚えていてくれるなんて、嬉しくなる。

    あの頃から、20年も過ぎてしまったのだね、遠い昔のような、つい最近のような気もするが。しかしやっぱり
    僕はすっかりジジイでよぼよぼですよ。
    それでも頑張って毎週一度のデッサン会に参加してます。それが僕にとっては健康の元のようです。

    もりの じるさん、これからも、とことん明るく美しい絵を描いて、明るく元気でお過ごしください。

    • もりのじる より:

      星先生
      ありがとうございます!
      とってもとっても嬉しいです!
      絵が描きたくなりました。
      時々こちらのブログをのぞいて
      元気になります。

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