1

先生の「キレイ」とは何か

長谷川和子(イラストレーター)
1967年~1977年 OB科 1984年~1988年在籍

セツモードセミナーを知ったのは高校の美術部の先輩が、「これ読むといいよ」デッサンドモードを渡してくれた時でした。父がアサヒグラフを購読していたので、長沢セツという人は見開きページに挿絵を描き、セツパッチや男のショルダーバッグなどちょっと変わったおしゃれを提案したりする自分の日常から遠い存在でした。その人が絵の学校をやっていて、素敵な建物やカッコイイ生徒たちの写真を見た時ここに行こうと決めました。セツパッチに赤地に水玉のシャツで階段を降りてくる父と同年代のはずのセツ先生は衝撃的で、こんな風に生きていられるなら大人になってもいいかなと思えた瞬間でした。高校を卒業してストレートに入学した私たちに「お前たちここは花嫁学校じゃないんだぞ」と言いながらコロコロして「ウッソー」とか変な言葉発する生き物が面白かったらしく、授業が終わってからの7並べ大会やスキー旅行などよく遊んでくれました。

そして初めての批評会!石膏デッサンはビーナスにルージュとイヤリング!水彩画は明らかに描きかけでも平気な同級生に啞然とし、評価はA B C からEもあり、しかも先生はEを付けた絵のここがキレイという所を説明するのです。批評会で上手なのも下手なのも沢山の絵を見るとやがて先生のキレイという感覚がじんわりと染み込んで来るのです。そして絵を描く時の大事なより所となって、ここまで続いています。

1件のコメント | RSS

  1. 星信郎 より:

    長谷川和子さん こんにちは。
    やあ〜、1967年でしたか、あの最も騒がしかった入学者たち、ファッションも凄かった。ぼくは怖くてコソコソしてたが、セツ先生だけが誰にも負けないガキ大将でしたね。本当にもう困った時代、おもしろい時代でした。
    7並べはセツ先生の唯一の遊びで、自分にいいカードが来るとソワソワするので可笑しかった。10円玉と1円玉をザクザク用意してましたよ。

    やがてセツは少しお金もちになって、小さな庭には、青いフード付きのブランコゆらゆら、ご自慢の脚を! みごとに描けてます!

星信郎 へ返信する