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セツという場所

丸山伊太朗(tottoriカルマ店主) 
1999年~2009年在籍

第6話 新しい在り方をつくる!

そしてある日、「そうだ。壁に大きな絵のあるカフェ(絵を見ながらコーヒーが飲めるとこ!)」というイメージが浮かび、(当時やっていた中野駅北口にあった「無国籍食堂カルマ」はとても小さなお店だったので大きな壁面が無かったのだ)その頃偶然通りかかって見つけたマンション1階の空き物件をセツゲリラの方々に手伝ってもらって「una camera livera」をオープンする事になったのだった。

オープンの際にはセツの生徒さんたちにもいっぱい絵を展示してもらった。そして「そんな空気の場所を作る!」という思いは一応達成されたのでした。(皆さんありがとう…!でも達成されたけど、未だに課題が残っているし、気は済んでない。目標が大き過ぎなのか?)

あのセツにいた時間。のびやかな自由な空気。たとえ誰も居なくても、いつもなんだか人のいい感じで「今日はどう?」みたいなサラサラした好奇心いっぱいの空気がいつもある校内。
 セツ先生も他の先生方も、そこに居た歴代の生徒達も。時間は確かに流れているのに、あたかもパラレルに重なってそこに居るような錯覚を覚えていた。

あの居心地のいい空気は、そんな「あのとき居たひと」が確かに残していった「みんなが同じ方向を向いて、みんなで一緒に歩んだ時間」が醸したものだったのだろうか。

いつまでもその空気が、体の中に、記憶の中に残っていて今でもすぐに思い出せる。

あんな風に沢山の人が気持ちよく、真剣に、そしてすんなりと入れる場所はどうやったら見つけられるのか?
 これからそんな場所を新たに作る事は可能なのか、はたまた時代と才能が組み上げた一瞬の奇跡のような煌めきだったのか…
 そして、そんな煌めきを体験できた事はとても幸運だったと思えるけれども、しかしまたそれによって、私は未だに色々試行錯誤しながら模索を続けていたりする。

そんな、ずうっと終わらない「一生やり続けるタスク」を見つけられた場所でした。
 そして、ここに載せられた皆さんの絵と文章。見て、読ませて戴いた時に「あっ!ここにもあった!!」と嬉しくなりました。

セツモードセミナー。ずいぶん昔の事のようなのに、ありありと思い出せる場所。
 セツ先生の「新しい在り方を作る」くらいの強い生き方や美学が、長い時間と情熱を掛けて建物に、学校の風景に染み込んでまたと無い空間とそこの空気を作り出したのだと思う。

そしてそこに関わった人達はたとえその関わった時間が短くても、リキュールの中に漬け込まれた果物みたいにその美学を吸収して、そしてその人達から生み出される絵やデッサン、文章からは、触れるくらい確かにその香りが伝わってくる。

セツ先生の本を読む時、先生が歩んできた時代の事を考えると「弱さの中にある美しさを見出だす事」は一見、すごく軟弱なことのように思われる。しかし実はとても硬派で、「いわゆる硬派とされるもの」よりもよっぽど強い生き方なんだと思う。

嘘や欺瞞、見下しや極端な愛国主義、性別による差別や権力に阿る事が世の中を厚く覆うようになった今の時代に、あらためてセツ先生の「自分が(自分だけでも)美しいと思う物を探して生きる。そして強制や圧力を周囲に与えない」生き方はこれからの時代の指針になるのではないかと思う。

そんな事言ったら「ケケッ!おまええ~!」って、先生に笑われて耳を引っ張られそうだけど。

 

(おわり)

1件のコメント | RSS

  1. 星信郎 より:

    丸山クン ながいセツ物語を面白く読ませてもらいました。丸山クンもセツに、すっかりハマってしまってしまって、お陰さまで、たくさんモデルもしてくれた。
    セツの一回のロビーには誰でも自由に入って休めるようにと、セツ先生が自分で考えだしたデザインでしたが、あれは人間をトリコにする罠場ですな。だからカルマも、そんな気分を大切に繋げて下さい。
    最後に三原クンの肖像画で締めくくるとは思いもよらぬ結末です。つくづく人生の無常と不条理と儚さを感じています。ホシ

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