青空を映す田んぼ。こちら側は山、向こうは海。

青空を映す田んぼ。こちら側は山、向こうは海。


山の気配濃密なポンカンとタンカン畑

山の気配濃密なポンカンとタンカン畑


70年ぶりの大雨で迫力の大川(おおこ)の滝

70年ぶりの大雨で迫力の大川(おおこ)の滝


口之永良部島から避難中のみなさんの田植え体験に参加。一日も早く帰島が叶いますように。

口之永良部島から避難中のみなさんの田植え体験に参加。一日も早く帰島が叶いますように。

お店を始めて間もない頃、屋久島で自然農を営む本武秀一さんとご縁が出来ました。本武さんはお米や小麦や里芋や季節の野菜も育てておられますが、出荷用の主力はポンカンとタンカン、そして安納芋です。まずポンカンが届いて、ぱくっと頬張った瞬間「おいし〜」と叫びました。安納芋もまた絶品!その上、お値段が安い。心配になって私は電話をしたのでした。「あの〜このお値段で大丈夫なのですか?」おずおず聞く私に、本武さんは実に明快に「大丈夫です」とおっしゃいました。その瞬間、本武さんの暮らしぶりがパカーンと見えた気がしました。あまりお金を必要としない自給自足の暮らしをしてらっしゃるのだ、そしてそれには揺るぎない理由があるのだ、と。そう頻繁でもないFAXや電話でのやりとりと送って下さる丁寧に梱包された美しくておいしい野菜や果物。それだけでしたが、お店を開いたもののどっちを向いたらよいのやら、右往左往の私にとっていつしか本武さんは「星」のような存在になっていました。いつか屋久島に行って本武さんの畑を拝見したい、という念願がついに叶いました。

本武さんは13年前に自然農をするために屋久島に移住されました。案内して下さった田んぼと畑は高い山と青い海に挟まれた絶景にありました。1本植えの田んぼには透明な水が入っていて青空が映っています。畦道でジンジャーの白い花が咲き、たっぷりとした山芋の葉が日を浴びていました。移住後、最初の2年は福岡正信さんや川口由一さんの本を手に試行錯誤、屋久島の気候風土に合ったやり方を探られたそうです。米も野菜も柑橘も無農薬無施肥、ほとんどが自家採取です。地力を上げるには肥料に頼らない方がいい、その土地をよく見て昔ながらのやり方で気長にやるのだとおっしゃいます。畑に生えている雑草をよく見てアブラナ科の雑草が多いならアブラナ科の野菜がよく育つ。ポンカンやタンカンは低く枝を横に広げるように剪定するのが常ですが、本武さんのところの木は背が高い。上に枝が伸びている時は地下で根も伸びているから台風にも強くなるそうです。肥料を与えて早く沢山収穫することよりも木をなるべく長生きさせてやる。美味しい野菜や果物は自然が作る、そのもの本来の味だからおいしいのだと。お話には常に経験に裏打ちされた明快さがありました。ポンカンとタンカンが育つ山の向こうには、ひときわ高い山々が見えています。屋久島の山は高く深く、水は冷たく甘く、滝は叱られている気分になるくらい激しく、山裾から漏れてくる気配だけで只ならぬ強さを感じ、自分なんぞはひとたまりもない、と思うのでした。

そんな中で、本武さんは「自然だけが唯一味方につけたいもの」と言い切られます。青い小さな実をつけ始めたポンカンも透明な水の中で育つ稲も小さな雑草たちも全て「命」として見守ってらっしゃる。作物ではないんだ、命なんだ。そしてそれはとてもおいしい。本当は当たり前なのにそうではなくなっていること。自然農の経験も知識も乏しい私は、本武さんの畑で初めてそのことに気がついて深く揺さぶられました。こんな風に書くと、とてもストイックな方のようですが、お話も面白く気配りも絶妙で、ご一緒していると本当に楽しい。つまり大人なのです。大人が、本気で、一人で、自然と向き合っている。教科書もお手本もない。インターネットもない。土を見て水を見て風を見て草木を見て、命を育んでいる。欲しいのはお金じゃない。なるべくお金に頼らない暮らしを目指している。買いもしないのに「宝くじ当たったらなにしよ〜」などと夢想している私が、どうして本武さんを「星」と思ったのだろう?旅の全てが自分に向かって「よく感じよく考えよ」と言うている、猛暑です。

プロフィール

井崎敦子
井崎敦子(いざき あつこ)
大学を卒業後、書店員、民藝店店員、デパート店員、NPO職員など職を転々。8年前、同志社大学大学院社会人講座・有機農業塾に入塾、長澤源一氏の指導を受ける。現在も大原で小さな畑を耕しつつ、一昨年6月、左京区にオーガニック八百屋カフェ「スコップ・アンド・ホー」をオープン。美味しいものを通じてつながってゆくご縁が嬉しい日々。

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