お施主さんの息子さんから
建築家に届いた作文

建築家・岩瀬卓也さんが4年前に設計した「既存庭のある家」。
敷地に隣接する庭を生かしたプランだ。
そのお施主さんのご子息から、ある日、岩瀬さんに作文が届いた。
筆者は小学3年生と聞いて驚くような名文を紹介しよう。

岩瀬卓也さんは、佐藤林業の佐藤健一さんと15年ほど前から親しくしている。佐藤さんは茨城県常陸太田市里川町の山主だ。樹齢100年を超える檜と杉、雑木が並び豊かな林相を見せる佐藤さんの山。岩瀬さんはその山にお施主さんやその家族を誘い、ともに木を選び、佐藤さんの協力でチェーンソーのレクチャーも行っている。

「木の家を建てる上で、そのトップバッターである林業家と、エンドユーザーであるお施主さんを結びつけることには意味があります。特にお子さんのいるご家族は喜んで参加してくださいますね」と、岩瀬さん。

森に触れることで「将来の夢」が生まれる。森のとびらの趣旨につながる一例が、この作文ではないだろうか。


家づくりは木のリレー

茨城県常陸太田市立 小学校3年

「だいじょうぶ。ゆっくりのぼっておいで。」とうりょうさんの声で、ぼくは、はしごをにぎる手に力をこめた。そして、「一だんずつのぼっていけばこわくないよ。」と、そっと、下にいる弟に声をかけた。二かいまでのびたはしごをのぼっていくと、上とう式の、つるとかめの絵がかかれているかざりが近くに見えた。板の上にすわると、となりのじいじとばあばの家がよく見える。あせをかいたけれど、庭からの風で気持ちがいい。「おふろのにおいがする。」と、弟がお父さんに言った。木のにおいがぼくたちをつつんだ。そこには、「ぼくの木」もクレーンで二かいに運ばれていたのだ。きょ年の秋、せっ計事む所の人たちといっしょに、ぼくの住んでいる近くの山へ、木のばっさい体験に行った。山にのぼる間に、木を育てている人のあん内で、森林を長い年月をかけて育てていることや、計画的に切り出すこと、それを材料として使うことなどいろいろなことを教えてもらった。そして、ぼくは、じゅれい百三年になるヒノキに出会った。手を広げてのばしても、かかえきれない太さと、空にえんとつみたいにまっすぐにのびるヒノキ。お父さんがチェーンソーのひもをブーンと引いて、大きな音を立てながら切っていった。ゆっくり木がななめになって、ズッシーンと地ひびきがした。弟と切りかぶの上に立った時、おふろのにおいがした。「木は生きているんだよ。それを大事に使わせてもらおうね。」と、お母さんが言った。それから二か月して、家ぞくでせい材所に行った。お父さんが切ったヒノキが丸太になっていた。せっ計しのいわせさんが、「この木で、家ぞくが本を読んだり、勉強したりできるつくえをつくるよ。」と、話してくれた。そして、見たこともない大きなのこぎりのきかいで、ぼくたちの木がせい材されるところを見た。「どんなつくえになるんだろう。」とワクワクしてきた。

その時のにおい、「ぼくの木」だ。親方の合図でぼくたちは、神様にあいさつをした。

「ぼくの木」の切り株に立ってうれしそうな子どもたち。

ぼくの家は、木の家だ。百年以上も前に木を植えた人、山で木を育てた人、木を切って運ぶ人、せい材する人、それをノミでけずり組み立てる大工さん、たくさんの人が一本の木をリレーしている。こんどは、ぼくの番だ。 ぼくにできることは何だろう。この前、自然探検サークルでホタルを見た。豊かな森から流れるきれいな川にホタルが住んでいる。ぼくの住んでいる常陸太田市には豊かな自然がすぐ近くにある。森をよく知り、木を大切に使うことがぼくの役割だと思う。

ぼくの夢はせっ計しだ。ヒノキのつくえでたくさん勉強をして、木の家をつくってみたい。そして木のにおいのする町をつくりたい。

ヘルメットをかぶって、ぼくたちの木の家ができるまでを見学。

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