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「まぐれ傑作」という言葉

中山 庸子(エッセイスト)
1971年~1973年在籍

中学生だった私が「長沢節」という名前を始めて目にしたのは、雑誌『装苑』でした。映画ではなく「シネマ」という響きと小気味のいい語り口、セツ先生ご自身もイラストもカッコよく、「いつかセツ・モードに通いたい」という夢を抱いたのは、ごく自然なことだったと思います。とは言え、郷里の群馬の高校卒業後は女子美術大学に入学しました。教員である父が出した条件が「教職課程を取ること」だったからです。そして2年目に昼は女子美、夜はセツに通う生活を始めました。同じ丸ノ内線沿線にあったので、念願のダブルスクールは、とてもスムーズに始まりました。

ところが美大とセツでは、絵の評価が全く違いました。混乱し自信を失いかけていた時に、セツ先生が講評会で「これ、まぐれ傑作」と。「100枚描いて2枚まぐれ作品ができればいい」「もし10枚描いて1枚まぐれがあったら天才!」この言葉で、スーッと肩のあたりが軽くなりました。 
 夜間部ならではの多彩な年齢の友人達と共にカフェでセツ先生を囲み、話を聞くことは私の「夢そのもの」でした。セツ先生が発する言葉のすべてを吸収したい!と切望する日々でした。そんな「夢のような時間」にもやがて終わりがきます。郷里で高校の美術教師になることが決まった私に、セツ先生が贈ってくれた言葉は「田舎で不良の先生になればいいじゃない」。

中途半端な不良教師にしかなれなかった私ですが、40歳で再び上京し「言葉」を相手にするエッセイストという道を選ぶことになりました。こわごわ先生に本を送ると、直接電話がかかってきて「君は絵より文章がうまかったんだね」。
 セツ先生にかけてもらった言葉の力で、いくつかの転機を乗り越えられたように思います。今日も文章の世界で「まぐれ傑作」を生み出すべく、パソコンの画面に向かっているのです。
 

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  1. 星信郎 より:

    やあ〜 あの 当時、いろいろと面白かったね。
    あなたの仲間の由紀夫ちゃんたち、俳優 の小倉一郎を街でナンパしてセツに連れ込んで、、、前から彼を絶賛していたセツ先生はそわそわしてたっけ。みんな不良だった。

  2. 中山庸子 より:

    星先生、コメントありがとうございます。
    よく覚えてらっしゃいましたね!
    あの時、原宿のレオンで小倉一郎さんを皆でナンパしました。
    セツ先生が映画『股旅』で絶賛していたので…。
    またお目にかかれるのを楽しみにしてます。

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