「うんこ色を使うの上手だね。松本君、天才!」この言葉をいただいてから40数年、絵を描き続けている。当時のセツには、セツ先生が生み出した天才!が沢山いた。そして今でもイエローオーカーの絵の具が好きだ。
私がセツに入るきっかけとなったのは、友人に四谷三丁目に面白い学校があるので行ってみないかと誘われたことだった。セツ先生に憧れて入学する友人と一緒に、絵に無知な自分も勢いで入ってしまった。と同時にセツの事務所で働くことになった。
朝、先生の部屋に授業で使う画材の売り上げを入れる手提げ金庫を引き取りに行き、デッサン用の紙を補充し、映画の試写会の時間を伝えることが一日の始まりだった。時にはクロックムッシュや発酵が進んだ自家製ヨーグルトをご馳走になった。日中は、事務所の補助をし、夕方になると晩飯のおかずを近所の八百屋まで買い出しに行った。先生からは「小松菜は茎の太いのが旨いからね」と言われた。今でもスーパーに行くと茎の太い小松菜を手に取ってしまう。
夜は生徒に戻ってデッサンをするのだが、絵を描く体験は皆無に等しく、スルスルと線を走らせる周りの人たちの様子に唖然とする日が続いた。幸いにも生徒と一緒に描いたセツ先生のデッサンやタブローを片づける役得から、ひんぱんに先生のタッチを見る機会に恵まれ、見よう見まねで描けるようになっていった。
大原の写生旅行なども楽しく、あっという間の2年間だった。ワイワイ騒いでいた仲間も卒業する者、研究科に進む者と分かれ、私は事務所の仕事を続けながらセツゲリラになった。2年後、セツ先生の出身校である文化学院に入った。事務所の退職金がそのまま文化学院の入学金になった。先生からの二つ目の大きなプレゼントだった。
松本くん お久しぶり。何もかも健在ですね。
セツ先生のプロポーションは一段とよくなって、、、ご本人に見せてやりたい。 ウンコ色談議ぼくも勉強になってます。
コメントありがとうございました。
お元気でいらっしゃいますか?
近くに来られることがあったら、お寄りくださいね。