あっ、これ日本のダムネーションだ! 川の半分が自由になった最新の姿。前回書いたアメリカのダム撤去映画『ダムネーション』を観た後と同じ痛快さだ。熊本県南をうるおす球磨川の下流、荒瀬ダムの撤去が、ここまで来た。アメリカが「カムバック・サーモン」なら、日本は「カムバック・アユ」によって。鮎は日本人が最も愛する淡水魚のひとつだろう。特大で香りもいい「尺鮎」が釣れることで名高い急流・球磨川。その河口から20㎞上流に造られ、約半世紀間流れを堰き止めてきた発電用の荒瀬ダムは、今、日本初の本格的な撤去例として海外からも注目の的だ。
ただ、映画のように堤体を一気に爆破して黒い泥水が噴き出すようなスペクタルではなく、少しずつ、泥水を流し出さないよう、騒音も抑え、細心の注意のもとで、ようやく本体の半分弱が取り壊されたところ。2012年春から6年かけた熊本県のプロジェクトだ。
撤去をいちばん喜んでいるのが、ダムがある旧坂本村(現在八代市)に住む70~80代の男性たち。その思い出話を聞いたときのことが忘れられない。学校から帰ると毎日、川に直行し暗くなるまで夢中で過ごし、獲った魚は晩のおかずに、仲買人に売れば小遣い稼ぎになった。「川は冷蔵庫だった」し、春には海から遡上する稚魚で真っ黒い川になったなどと、悪ガキさながらに興奮して喋りやまなかった。
ダムの電気が連れて来た製紙工場は地元に仕事場をつくってくれたけれども、ダムによって鮎は上らず、水は腐り、放水時に振動被害が起き、上下流で水害が増え…と「ダム公害」の連続に地元は悩まされてきた。「生きているうちにもう一度、あの球磨川を見たい」。旧坂本村の人たちの思いと行動が当時の村や知事、流域住民を動かし、ダム撤去につながったのだ。しかし、荒瀬ダムが完全になくなる日は来ても、鮎が上流まで遡る日はまだ遠い。荒瀬のすぐ上にまだダムが控えているからだ。
(つづく)