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先生の紹介状

櫻井砂冬美(イラストレーター)
1983年~1986年在籍

卒業制作では、長沢節賞を頂きました。あの当時、ドイツの新表現主義や現代美術作家に影響を受けていた私の絵は、他の皆みたいに淡く美しい色彩の絵ではなかったのに…。先生も私の絵は全然好きじゃなかったと思います。最後の合評会で何て言われたと思います?「くっ、キチガイ女。いいね!A!」でした。それでもセツ・ゲリラに選ばれ、嬉しかった。

パルコ主催の日本グラフィック展で2年続けて賞を頂いた時、「新人類」という取材で何度か筑紫哲也さんとお会いし、セツのゲリラ展の招待状をお送りした所、筑紫さんが本当にセツに遊びに来て下さり、節先生や初川良先生にも喜んで頂けたという事がありました。凄く嬉しかった。学校が大好きでしたし、セツゲリラは、望めば無期限で学校に残れたのですが、絵の仕事を始めてもどうにも芳しくなく、生き辛さを抱え、浮かない顔でふらっと学校を訪ね、フロアで先生方に悩みを打ち明けた、24歳頃の私。すると長沢先生は、「お前に紹介状を書いてやるよ。ちょっと待ってなさい」と、事務室に降りていき、故・堀内誠一さんに、この子の作品を見てやってという紹介状を書いて下さいました。文面は、先生らしい大きな達筆で、「この子はどうも、社会に出るのが下手なようで…」と、冒頭にあり。あとはもう、覚えていません。頭を打たれるような出来事でした。

結果、当時すでに病床にあった堀内さんとは、4~5通の書簡でのやり取りをしました。「とても面白い絵だから僕ならすぐ使ってあげるのだけれど、あいにく今、入院中なので」という丁寧なお返事と、代わりに某氏に見て頂きなさいというお言葉、何回かのやりとりには、銀座のアート展で君の作品を見た、というご感想と共に、ご忠言なども。

その後ですが、グラフィックパワー展という展覧会のパンフレットの為に長沢先生から頂戴した文があります。美術館のパンフレットという事で、榎本了壱さんからのお計らいで、私の推薦文は、長沢節先生に書いて頂けました。 

80年代に、大きなB全バネルを担いでセツ・モードに通っていました。同期生の顔。長沢先生にして頂いた事…。様々なご厚情に対するお礼の言葉もうまく言えなかったまま、30年余の月日が流れ去りましたが、今、ただただ思うのは、もはや、学校もなく、感謝の言葉をお伝えする先生もいないのだということ。今回ここにお声掛け頂いた事で、黙して封印して来た若き日の恥と、切なかった当時の感情を書かせて頂きました。

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  1. 星信郎 より:

    そう、これだ! 櫻井砂冬美の本領発揮ですね、学級崩壊、不登校!これをもし筑紫哲也さんが観れたら喜びそう。僕も嬉しくなった!
    「キチガイ女A!」はセツ先生の最高の褒め方だったんだね。セツ先生の咄嗟のコトバはいつも面白かった。堀内さんへの推薦状「この子は、どうも社会に出るのが下手のようで、、、」のくだりは、じんと胸にきます。
    堀内さん、セツ先生、初川センセイ、会いなくなって、あれからもう何年過ぎただろうか。星

    • 櫻井砂冬美 より:

      歳月が……

      でも、若い日のことを懐かしく思い出しました。色のこと、線のこと…根を詰めた後の休み時間の雑談の中にも、沢山の示唆に富むエピソードやアドバイスを頂けました。あの頃、どれだけ星先生のそういう何気ないお話に助けられて来たことか。感謝の気持ちでいっぱいです。何も知らない私たちに、いつも優しく温かかった星先生…

      先生、私、本当にセツモードが好きでした。どうも有難うございました。 /砂.

  2. 大林ひとみ より:

    素敵な往復書簡、私も絵を必死で描いて学んでいた頃を思い出しました。セツ-モードセミナーは憧れでした。

    • 櫻井砂冬美 より:

      世間に疎くバカだった自分なんかにも長沢先生は手を差し伸べ、とりあえず外に出そうと促して下さいました。

      ……なんとも恥ずべき若い頃の切ない記憶です。お読み頂き誠に恐縮です。

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