サラリーマンでぎゅうぎゅうの地下鉄を降り、階段をかけ上がると、夕暮れの街。
蔦のからまった建物、「セツ」の灯りが迎えてくれる。
自分を変えたい、 イラストレーターになりたい、 セツの夜間部の扉を叩いた。
ロビーから見上げると、デッサンそのもののマネキンが見えた、オシャレな生徒達も景色のひとつ。
壁に貼ってある小さな紙は「注意書き」。
独特の文字から、セツ先生直筆だとすぐわかる。
「缶ジュースや缶コーヒーは、下品だから持ち込み禁止」
セツ先生のコラムの切り抜きも、壁に貼ってある。
同じ映画をみても、感想が全然違う。自分の目が節穴に見える瞬間。
私は昼間、小さな会社で働いていた。
タバコが煙るおじさん達がいる営業部の、お茶くみ兼電話番。
その生活が、すすけた現実の世界だとすれば、
「セツ」は私にとって、パステルカラーの夢の見る場所だった。
セツ先生はその世界の主人であり王様。
セツ先生は、存在感とオーラがハンパなくで、遠くから眺める存在。
声かけられると、ドギマギして、トンチンカンな返事しかできなかった。
欧州スケッチ旅行に行きたくて、上司に掛け合った。
上司は賛成してくれたけど、最終的に社長がダメ出し。
怒りや絶望より、世間って結局、こんなもんだと、妙に納得した。
自由でオシャレで、好きな事を仕事にする世界に行きたい、と思った。
根拠はないけど、行ける気がしてた。
私は 在学中、 Aはめったにもらったことない。正確には1回だけかも。
四畳半のアパートに、大きな組み立て式の机を買って、パステルや絵の具を使って描いた。
毎日描いた。その一枚がA。まぐれのAかもしれないけど、A!。
「やれば出来るじゃん!」
下手でセンスもないけど、Aがとれた。
それまで根拠の無い自信だったけど、頑張ればやれるという「根拠のある自信」になった。
今も、ダサくて下手なのは変わらないけど、小さな自信はずっと、続いている。
セツ先生、ありがとうございました。