「ミステリーみたい、プッ!」と一言残してセツ先生は絵の前を通り過ぎ、僕は途方に暮れました。だって今はファッションイラストレーションの授業中で、僕はアレキサンダー・マックイーンの服をまとったモデルを描いたつもりでしたから。隣で講評を聴いていたMさんがそっと声をかけてくれました。「いいんだよ、ミステリーの絵を描く人になれば・・・」優しさは時に人を深く傷つけてしまう事をこの時に学んだのでした。
その後もなんとか無事に通い続け、セツで多くのことを学びました。そんな風に過ごせたのも良い仲間に恵まれたからだと思います。火事でもないのにいつも大声で話しかけてくる元消防士、ポケットに忍ばせたバーボンを授業中に勧めてくるアメリカ帰り など一風変わった人達もいたけれど、休憩時間になれば中庭に集まってたくさん話をしましたし、花見など恒例行事もありました。この仲間がいなかったらたぶん途中で辞めてしまったような気がします。それくらい絵に対して難しさを感じていました。卒業試験も通らず、半年後ようやく卒業展に参加できる事になりました。自分の絵が架かってる展示室に入ると、独りで絵を観ている先生に出会しました。僕が戸惑っていると、それを察してか言葉をかけてくれました。「オマエ(一枚だけじゃなくて)これと同じような絵をもう一枚出してたら入賞してたかもしんないよ!」思わず「いやあ、その一枚がなかなか描けないんですよ」と正直な気持ちを打ち明けると、先生は何も言わずニカア~ッと大きな笑顔で応えてくれました。この笑顔が当時の僕には、全てを肯定して背中を押してくれているように思えて大きな励みになりました。それまで直接話をしたことがなかった僕にとっては、これがセツ先生との唯一であり最高の思い出です。卒業後は更に別の教室に通ってイラストレーターを目指し、やがて出版社へ持ち込みに行くようになりました。最初に訪問したのは、もちろんミステリマガジンです。
今回の依頼を受けてから、まず曙橋に足を運びました。角を曲がって見上げたその先にはおっきな白い脱殻のように校舎がそのまま残っていました。坂道を登って近づいていくと、タイムスリップしたように沢山のことを思い出しました。そして何よりかっこいい建物だなあと今更ながら気づき、よしコレを描こう!と決めました。いろんな角度から眺めつつ、僕が大金持ちだったらこれを後世に残すために内部を改装して、先生や卒業生の絵を紹介するためのギャラリーや学校の歴史を振り返れるコーナー、星先生監修のカフェなんかも作って活用するのになあ・・なんて勝手な妄想を膨らませながら、その場を後にしたのでした。
わあ〜これはスゴい! この眺めは向かい側の家の二階からしか見えないはず。それにしても、ど
こからどこまでウマく描けてますね〜、セツ先生もいる、僕もいる、さすがイラストレータ。
セツには猫のひたい程の庭があって、そこには天にそびえるポプラの木、峰岸達、柳生弦一郎、池田和弘さんたち同期生が植えた卒業記念樹、山梨県から通学していた依田さんが植えた葡萄、ちょっとの間と仮植えしたままにして取りに来なかった八重桜と杉、野鳥が運んだらしいアカシヤ、 つる薔薇は僕が挿木したもの。
休憩時間になると、猫のひたいは、わやわやの人と直物と溢れそうになって、コーヒー飲んだりタバコすったり、、、「コラッ、おまえの声高すぎるぞ!」 声のたかかったのはW君だろうか?
その分いつも静かで、にこにこと優しいお兄さんタイプの人もおったなぁ〜
。
星先生コメントをありがとうございます。庭の樹々の歴史のお話を興味深く拝読しました。峰岸さん達が植えた記念樹があったのですね、知らなかったです。
休憩時間の庭は確かにいつも賑わっていましたね。声が高いのは間違いなくWです。
セツ先生の絵を描くお題でしたけど、校舎を見に行ったら先生とあの校舎は一心同体のように思えてこんな絵になりました。
ずいぶんセツ先生は小さくなってしまいましたが、いろんな事を思い出しながら絵を描くのは楽しく貴重なひと時でした。
またいづれお会いできれば嬉しいです!