当時(夜間部在学中)、職場が近かったので度々、四谷三丁目交差点近くでセツ先生と出くわした。
「おまえ、何でこんな所にいるんだぁ?」
「仕事です。先生はどちらへ?」
「映画だよ。試写会にいくんだよ。」
「いいなぁ・・・。美少年に会えますね。」
「そうだよ。おまえも一緒に行くかぁ?」
「仕事です。」
颯爽と歩いていく先生を見て、「恰好いいなぁ・・・。なんて素敵な人なんだろう!」と思ったものでした。
1974年10月 セツ仲間8人でパリへスケッチ旅行に行くことになり、先生に報告すると、直々の訓示がありました。
「お前達、決して上等な服を着て行ってはいけない。若者が高級な物を身に着けるのは可笑しいし、みっともないことなの!ヨレヨレの普段着で行きなさい!いいものなんて持ってないと思うけど・・・ウフフ」
言われるまでもなく全員ヨレヨレの普段着で出発!
15日間、美術館、街歩き、そしてほぼ毎日セツ画板を持ってあちこち写生した。
モンマルトル、バルビゾン、パッシーの公園、ホテルの前や横道etc。
帰ってきて珍道中を先生に報告。
「お前達、本当に描いてきたんだね・・・。じゃ、ここで展覧会をやりなさい。」
ということで、学校で「パリ8人展」を開催。
後で聞いた話だが、これをきっかけにセツモードではフランスへの修学旅行が始まったらしい。
ちょっと嬉しい気持ちでした。
セツ仲間の一人と結婚し、共通の友人は全員セツ出身。
40年以上たった今でも「セツ」とは離れられないご縁を頂いています。
セツ先生から「A!」とたまにしか言われなかったけど春日部先生には毎回褒めてもらえた。
そして卒業時には「セツモード賞」を頂いた。
おかげで我が家には世に出ていない「長澤節氏の額入り絵」があるのである。
そうでしたね、セツ海外写生会の先とう切ったのは大枝君達だった。あのころは皆んな貧乏画学生でね、!よくぞ実現したもんだ。帰国して後日に、大枝君はバルビゾンが素晴らしかったと盛んに語ってた記憶がある。 渋谷君はパリの壁に向かって佇んで寒かったそうだ、うぢうぢたくさん描いてましたよね。
大枝君はそのころ、ちょっとジャンポール*ベルモンド風でかっこよかった、脚の長さはだいぶ違うけどね。 ほんとうに愉しかったあのころは。
コメント有難うございました。
みんなキラキラ。かわるがわるモデルになったりして、セツモードが全てでした。
本当に愉しかったです。
大枝カップルでセツ物語が書けるるなんて楽しいですね!
え〜!大枝クンって ジャン・ポール・ベルモンド風だったの?私はアラン・ドロンよりベルモンドが大好きだったのよ〜。
ここ数年展覧会の時とかにお会い出来て皆で少人数同窓会みたいでしたね?セツ物語ではセツの建築関係のお話も書いてくれるのかと思ったら・・・・・
又思い出のオセツ会で会いましょう!メールもPSもやらないお二人に写真が送れないのが残念だけれど、特に別に写真が欲しくないと言うのも(言ってないか)
セツのそれぞれのマイペース変形形がお気楽で楽しいね。写真頂戴と言う人や要らないという人でも基本はセツの精神科卒?という事で。(爆笑)
コメントありがとう。全くパソコン出来なくてゴメンね。子供にやってもらっています。
手紙なら得意なんですが・・・(エヘヘヘ)
写真は欲しい!今度会える時ヨロシクお願いしまーす!
弘子さ〜ん。セツの楽しい思い出は入学当時はそんなに尾が引くもの(凄く良い意味で)だとは思いませんでしたよね。PCはお子さんが使えるから良かったですね。なまじ出来ない方が子供は頑張ってくれるのかもです。私もパソコンでも得意なものと不得意なものが多々あります。タイピングは遅いしエクセルなんて大嫌いだし、事務的なものは,かったるくて苦手です(笑)。写真はメールで送ることやパソコン上や携帯からでなら出来ますがプリントにするのは写真屋さんよりコストがかかるので,送っていなかったのでした〜(笑)お子さんのパソコンアドレスを今度教えてくくだされば幸いです。又ね〜。建築関係トントントンの話も大枝クンから又お訊きしたいものです。瞳
待ってました!大枝さんは最近の閉校まで、セツ・モードとの関わりが長いのでエピソードがたくさんありそうで楽しみでした。でもセツのヨーロッパ写生会の前身を作ったとは初めて知り驚き!
舟町の校舎にはもう行けないんだ・・・と思うとさみしいけれど・・・当時の人たちと会う機会は年1回くらいはあり、そのときは思いっ切りセツ・モード(mode)じゃなくてセツ・ムード(mood)になりますね!
コメントありがとう。すっかりお世話になりました。
セツモードとは、今年5月の閉校まで関わらせていただきました。
本当に素敵な学校でした。
感謝を込めて、心を込めてきれいにしてきました。(タダオ)
「セツ記念館」になるといいのにね。(ヒロコ)