長沢先生との初の禅問答「… … それはとっても勇気のいることね~っ!」以降、私は疑問に想ったことは常に直接質問するというセツ学校生活。ある時はモデルのデッサンを描く際に、髪の毛を描くのがとても困難であることに悩んだ私は例の如く庭で、「先生、髪の毛を描くのが難しいんですが… ?」やっぱり眼鏡の奥の先生の眼が光る… …
「ん!?何だお前!...髪の毛を描くのが難しいってことが解ったの!?(ここで私の耳を引っ張りながら) … スゴイ進歩!!ブ〜っ!」
またある時は、夏休み中に気に入った娘を口説き落として絵のモデルになってもらうべし!という訓示をそのまま実行に移してあえなくナンパに失敗したことを先生に告げると、
「なんだ!?お前!?ほんとにやったのかぁ?!?!お前、不器用だねぇ〜!(ここで私の耳を引っ張り、今度は捻りながら) キュ〜っ!」… …
そんな無我夢中の2年間の後、卒業制作作品で長沢節賞を受賞した。その直後には先生主催の「1988年度セツ・ヨーロッパ写生旅行」に参加し、生まれて初めての西洋を体験していた。自分の身体が時差を遡り、空間を越えて突然クロアチア共和国(当時ユーゴスラヴィア社会主義連邦)のドゥブロブニクというアドリア海に面した古風な街にいるという事実が不思議すぎて、変な感じだった。
陽光降り注ぐ二日目の午後、街の靴屋のウィンドウに飾ってあるタッセルモカシンを眺めていると、突然後ろから
「おいっ!… おいっ!… お前っ!… サオトメっ!」
振り返るとそこには中世そのままに重厚且つ、尚ハレーションでも起こしたようにまっ白なドゥブロブニクの町を背景にしながら、たった一人でそれをバックに一歩も引けを取らない長沢先生の姿があった!
「あっ!?先生っ!?」私の中に何か異常に嬉しく、誇らしい感情が沸き起こっていた。
「お前、ずいぶん熱心にナニ見てたんだ〜っ?!」
そのまま先生は「コーヒーでも飲んで一服しようかぁ!... オレに付いて来なぁ!... 」
と、次の瞬間には、広い宮殿跡のようなレストランの庭のテーブルに長沢先生と二人きりで腰掛けていた。客は他に誰一人居なかった。大きな木の下の木漏れ日の中で先生は微笑んでいる。まるで時の流れが止まったかのような異様に親密な瞬間であることを自分自身の内で深く理解した。
遠くの回廊下を歩く白いジャケットを着た給仕の姿があった。長沢先生はゆったりと脚を組んで腰掛けたまま右手を上げて、ヨーロッパ全土に呼びかけるように大きな声で叫んだ
「garçon、garçon、ガルソ〜ンっ!」… …
長沢先生のその姿全体が ... もの凄くカッコ良かった … … 。
ユーゴスラビア内戦のちょっと前のスケッチ旅行、ぼくは行けなかったが、いいときに行ってますね、あの内戦で街がぼろぼろになったらしい。
早乙女君の自由奔放ホォーヴスムなタッチはセツ先生を語るにぴったりふさわしい、ありありとセツ先生らしさが伝わって大笑いしたくなる。、、、そのころ早乙女くんは純情可憐だったね。 また面白い話を聞かせてください。
星先生、光栄です!ありがとうございます!m(_ _)m!!
ユーゴ内戦勃発時にはニュース番組で、ドゥブロブニク市街戦の様子を唖然としながら観ていました。セツ一行が泊まったホテル・アルゼンチナの、まさに私の逗留していた部屋が機関銃座になっていたのを見たときは、この世の “理解不可能さかげん” に、呆然としてしまいました。