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セツと世間

小栗 麗加(イラストレーター)
1972年~1976年在籍

初めて長沢先生の絵を見たのは小学3年ごろ。母の読んでいた婦人誌の小説のさし絵。登場人物のエキセントリックな青年の、痩せた物憂げな表情がステキでした。作家は忘れたのに挿絵・長沢節という文字が印象にのこりました。その人が男か女か若いのか年寄りなのかわからないまま、「長塚節」という歌人とゴッチャになりながら成長し、浪人中、長沢節は男でセツ・モードセミナーという学校を主宰している人だと知り、即入学しました。今思うと、初めて見たイラストは先生が40代の頃の作品になります。

セツを出てからある会社の宣伝部にイラストレーターとして入社しました。しかしデザイナーのような事もさせられ、T定規もトレぺも知らない私は呆れられました。セツでは絵を描く以外技術的な事は何も教わっていないので、この苦労はセツ出身者にとって「あるある」笑い話だと思います。

それからフリーになり少女誌でイラストを描くようになりましたが、美容や料理のカットイラストが主で、セツで描いていた絵とは全く違いました。そのうち文庫本の表紙も描かせてもらえるようになり、ある時思いきって担当編集者に水彩画を見てもらいました。水彩連盟展で賞をもらったり、先生に「トクエー(特A)」と言ってもらった内心自信のある絵です。編集者の答えは一言。「力不足ね」。
 ガ~~ン!!!セツ・モードセミナーでの評価と世間での評価は時として違います。これも「あるある」笑い話ではないでしょうか。

以後児童書を中心にイラストを描いていますが、水彩画ではありません。
 先生は「絵」で仕事をすることに対して「相手側に注文されて描き直しさせられたりするなんてもう絵じゃないよね」「梅原龍三郎なんて1ヶ月に何枚も富士山の絵を描かなきゃならないんだよ。そんなのもう絵じゃないよ。ツライよー」とおっしゃって、あまり肯定的ではありませんでした。だから理解してくださるだろうとわかっていながら、私自身に後ろめたい気持ちがあって仕事した作品を見せられないでいました。ところが1996年、私がアメリカ中西部にいた頃の体験を書いたイラスト&エッセイ本ができました。悩んで悩んで悩んだ末、先生にお送りしました。。
 すぐに葉書がきました。「ステキなイラストがいっぱい!文はまだ読んでないけどおもしろそう。ゆっくり読みます」

キャーーーー!!!
 絶叫しました。ちっともいいイラストじゃなかったのに・・・。先生、やさしい・・・。

その3年過後、新聞で訃報を知りました。
 

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  1. 星信郎 より:

    なんだこの大胆さは‼︎ そのくせセツの階段がとんとん天国まで抜けて、僕はポイムを感じました。
    どっかの編集者に言ってやればよかったのに、「絵を観るチカラ不足」と。 さすが伸びやか自由さ構図力、素敵ですね。

    ある会社の宣伝部とは、それは三愛宣伝部でしょう、当時は三愛は花形だった。僕のセツ友の磯君が三愛商品企画に入社できて羨ましかった。

    セツ先生の節というペンネームは昔々ある編集者が長塚節と間違えて長沢節にしてしまったそうです。面白いね間違えは。

    • 小栗麗加 より:

      星先生!コメントいただけるかしらとハラハラしてましたのにさっそくのコメントうれしい!ありがとうございました。「ポエムを感じる」とは最高の褒め言葉!泣けちゃいます。長沢先生にも「オマエは詩のような絵を描くね」と言っていただいたことがあり、絵を描くときの心の支えでした。あれからン十年も経ったのに枯れてなくて良かった。

  2. 内川瞳 より:

    蘇る青春。皆そうだと思うけどけどあの時代があったことはもう財産ですね。あるある辞典、あるあると言ってる仲間の共通点があればあるほど口惜しい思いも吹っ飛びそう。でもセツ先生に褒められた事の方が信じられるのだから嬉しいわよね。私も自分で売り込みに行って仕事になったのはニットの委託販売くらいでした。あとはセツに探しに来た雑誌の人に学校から紹介されて、その後それを見た雑誌社から依頼が、、、と言う具合でした。売り込み術は勉強するものでもなく、それも才能なのかも知れないと思っていました。そのうち何となく自然に上手く行くようになった時もありました。やっぱり絵に対するそれぞれの自分の拘りが絵を描く楽しみになっていると思います。いつか嫌いになるかと思ったら益々好きですもんね。しばらく描かない時があっても”セツの魂百までも”です。なんちゃって。

    • 小栗麗加 より:

      瞳ちゃんとはフリーの仕事先編集部でよく会いましたね。お互いイラストだけじゃなく小物作りもして・・・。瞳ちゃんのは編集者さんに人気があって「これちょーだい」とかなり持ってかえられたと聞きました。

      • 内川瞳 より:

        あの頃楽しかったね〜。でもバブルの頃だと言う実感も無く、仕事始めた頃と変わらない色々だったな〜
        足もと見られヤラレ放題っだったのでは???今頃気づく。冗談もヨボヨボです。笑
        又小物など作って遊び稼ぎたいわね!!そういえばあの頃飲んでた元気薬持ち歩いていたのだったわね。弱そうなのに元気で羨ましかった。私も弱元気だったけど。笑

  3. つねちゃん より:

    ゲリラではじめて会ったとき、すてきな絵だなと思い、お仕事をしてることを知り、ますます尊敬。
    キシュアートや、10人展、その後、一緒に、展覧会させてもらい、その時本を読ませてもらったけど、よかったです。イラストも。これからもがんばってね。

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