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先生のパンタロンを編む

内川 瞳②(イラストレーター)/プリュネル瞳(アマチュアのシャントゥーズ)
1968~1969年~1978?年在籍

そしてまじめに?私は学校に通い、好きこそ物の上手なれとばかりに努力したのでしょうね。きっと。
 2年で卒業ですが、卒業制作で「セツモードセミナー賞」を貰うと研究科2年の月謝がタダに成るという恩恵があった時でした。有り難く喜んでタダで通いました。更にセツゲリラにもなれて更に長く教室に通いました。おかげで生徒の時からイラストのお仕事も来るようになり、さらに編み物もセーターなど作って 、ブティックに 置いてもらって売れるといったチャンスにも恵まれ、内気ながらも若さゆえ楽しみまぐれ気まぐれに、身体は細いが心は図太く、一匹狼は一風変わった人たちを見習って、元気に自由業の雰囲気に浸っているかのようでした。

セツに通う時も自分で編んだセーターを着ていきました。セツ先生のセーターもいつしか頼まれるようになりました。先生がお気に入りで2着も注文された、凧糸で機械編みで編んで作ったパンタロン。ニットでヒットしました。重みがあるため、シルエットが奇麗に出るのです。セツの生徒と共に行く初回ヨーロッパ写生旅行では、先生も私も凧糸パンタロン履いていましたよ。セツ先生は日本で最初に唯一パリコレでデッサンした凄い人なのに・・・・。
 私がフランス好きになったのも、セツ先生のフランス通が多いに影響しています。シャンソン通でもあったようです。私が今、時々フランス語でシャンソン歌うのも天国に届いているかしら?

他にも私の作ったロングセーター(カーデガン風)は傑作だったと後々皆に言われました。同じような物は結構作っていたのですが、色あいの配置や組み合わせは、先にも後にも同じには2度と出来ない物でした。残念ながら写真に撮ってないので、ウロ覚えですが描いてみました。

卒業してからも いつまでも繋がっていたくて、子供が出来てからも連れて行ったりしました。息子はよく先生に耳を引っ張られたそうです。後で私に言いました。「僕の耳引っぱる力、すごくちよいよ(強いよ)」
 絵の仲間は今でもふんわりと仲良しで時々3~4人で展覧会します。セツの思い出と共に皆インターネットのように繋がってます。
 当時の爽やかな小泉先生、セツ先生の最後迄セツモードセミナーに君臨し人気者だった星先生。皆私たち生徒に優しかった。セツの第一回卒業生で私たちの講師であり出世頭で 今なお第一線で活躍の 大御所、穂積和夫先生はFaceBook でも繋がって仲良くさせてもらっています。

共に皆の心の中に生きている長沢節はやっぱり偉大でした。
 追憶の カ・リ・ス・マ 。夜空に瞬く「セツの明星」が見えますか?見えたら手を振ってご挨拶しましょうか。「アディユー」とっくに言ったはずなのに・・・・「ボンジュール」が言いたい。
 

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  1. 星信郎 より:

    そう、これこれ! 手編みの長めジャケットにタコ糸で編んだ白いパンツ、先生の定番になってましたね、ジャケットにはいろんな絵柄が編み込んであつて、チャーミングだった。
    ヨーロッパ写生はあの年25日間でコルシカ島まで行った。

    • 内川瞳 より:

      星先生もよく覚えていてくださいました。あの凧糸パンタロンは機械編みです。私がセーターを編んで青山のある有名なデザイナーのブティックに1点もので委託販売をして、はじめは先生ご存知の当時のボーイフレンドがやってくれましたがそのうち自分で原宿のあるブティックにやはり1点ものでおいてもらってました。といっても付月に1〜2点くらいのやる気なさで。当時からハードに動き回る体力はなく出来たら持って行くぐらいだったのがそのうち雑誌などでの仕事が増えて腕も上達していたからセツ先生の容貌に1を聴いて10を知るくらいの(笑)はったりも加えて編めば気に入ってもらえる出来映えに仕上げて,,,,,,と言いだすとハッタリがとまりませぬ。凧糸は場末の田舎の毛糸屋ぐらいしか置いてなかった何にするの?てな糸を発見して見いだして私のパンタロンとセーターを編んで来ていたらセツ先生が見て「いいね〜」といわれ注文してくださったのです。確か先生も上着も作ったはずですが首が丸出しになるから上着はあまり着てなかった見たいです。
      コルシカでも着てましたものね。星先生に冷たいお茶を差し上げたのって?ニースの学生寮に泊まった時ですか?お茶の事は覚えて無いですけど、急に思い出すものですね〜〜一緒の写真ありますし。良い思い出です。

      • 内川瞳 より:

        容貌ではなく要望です。笑

      • 内川瞳 より:

        凧糸のはどこにも売らずセツ先生と私だけにしか編んでませんでした。結構編み機とはいえ全身運動になるくらいの力が要りました。多分。

  2. 井出千昌 より:

    凧糸で編んだパンタロン!!!
    ぜひ写真を見たかったです。かっこよかったんだろうなァ♪

    • 内川瞳 より:

      千昌ちゃん。Face Bookに載ってます。エッフェル塔をバックにセツ先生のパンタロンお姿と私の短パン後ろ姿よん。数人と一緒に。

  3. 87 より:

    すてきだな。自分はずっと学校というものにくさってしまっていた状態でセツに入学しました。あべこべの学校で。人生ではじめて『ここでは素直に生きて良いんだ!』とわかった時には2年目の秋で、帰りの電車で年上の友だちと別れると『帰りたくない』と都営新宿線の電車の中でよく泣いていました。

    • 内川瞳 より:

      コメントありがとうございます。87さんは’87入学されたのですね。私の子が生まれた年です。本当にセツ先生が居て星先生が居た時代が本当のセツモードセミナーですね。何も教えないという中でしっかりスピリットを吸収して自由という本当の意味を知りそして癒される、そんな場所に遭遇した若者は不良も良い子もみんな馴染めたのは同じ精神の根源が一緒だったという未知との遭遇。ごめん、何を言ってるのか分からなくなってしまいましたけど。笑 優しさと懐かしさと幸せ感。夜空を見てね。

  4. とな*堀 より:

    凧糸、すごい労力ですよね★ カーディガンの写真もあったら良かったのに。色替えのチェッカーになっているところに何か柄が付いているのは刺繍が入っているのですか? すごいなー。

    • 内川瞳 より:

      とな堀さん、昔はタゴさん。当時はお会いしなかったけど最近すっかり仲良しになってうれしい。お互いにセツのモデルしてた時代があって年代は少しずれてるけど色々共通点あるわよね〜。
      そうそう凧糸どこじゃないもっと凄い糸でステージデザイナーもしていた早川クンに頼まれて編んだ事もあるの。
      それで知った割とタフな私の身体。若さだけじゃない普通と違うものを作り上げる創作の喜びとでも言いましょうか。ニコニコ。セツ先生のロングカーディガンは黒、グレー、焦げ茶のシックな組み合わせでした。編み目にそったメリアス刺繍でカニさんや帽子被った人やトンボもいたかな?あと何か。全部気に入ってくださりましたです。笑

  5. 87 より:

    あ、ごめんなさい!92~94年在籍でした!87は名前をもじったものになります。すてきな人が心のままにすてきなものを制作することがすてきで、なんとなくコメントしてしまいました。初川先生最後の教え子になります。セツモードセミナーは私にとっては、セツ先生、星先生、初川先生3人に会える場所でした。。。

    • 内川瞳 より:

      あら、ごめんあさい。私の得意の早とちり早飲み込みでしたね。笑 その頃もごくタマにセツに立ち寄っていました。
      私も昔から誰とでも仲良しになれる器用さは持っていませんでしたが、そんな事も気にしなくていい環境だった気がします。こうして世代の違う仲間に遭遇する奇跡は嬉しいですね。

  6. 内川瞳 より:

    え〜他のコメントが消えてる。どーして?

  7. つねちゃん より:

    私も先生のパンタロンおぼえています。
    ひとみちゃんが作ったなんてすごいね。
    当時のボーイフレンド、どんな人?今度教えてね。

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