vol.2もっと咲かせる vol.2もっと咲かせる

春訪れてから、あっというまに半年が過ぎてしまった。
 

ひさしぶりに訪ねた4ひきのねこ。今日はお花を習いに。
 

店には赤い花や枝ものが多く、秋の雰囲気がただよう。
 

 

「悠三さん、こんにちは。」
 

店に入るとテーブルの上に『知ることからはじめよう beyond the nuclear age』という、原発マークが可愛くデザインされている小冊子が目にはいる。お店の前にある大木のところにも「さようなら原発1000万署名アクション」のポップがさりげなくたてかけてあった。
 

「署名、もうした?まだだったらよかったらこの紙をもっていって。次が12月で、来年の2月まで締め切りあるからね。」
 

と、「さようなら原発1千万人署名」http://sayonara-nukes.org/shomei/の紙を渡してくれる。
 

「原爆と原発を分けて考えるのっておかしいね。原材料は同じなのだよね。燃やし続ける限りは、使用済み核燃料も増え続ける。高濃度の放射能廃棄物がどんどんたまる。もう国民投票すら必要ないと思うよ。今生きている人間が生きている間中に処理できないものを未来に遺してしまうなんてほんとはすぐやめなきゃいけないよね。誰も責任を持てないのだから。」
 

「経済がダメになるってすぐいうけど、皆で一斉に必要以上のオートメーション化に向かっていったからなのだよね。昔ながらの手仕事や産業もどんどん潰れて働き手があぶれてしまって、工場を建てるのも安い方がいい、労働力も安い方がいい、ってお金と効率のことしか考えなくなって、地方都市も空洞化していったね。会社があって、その周辺地域が発展して街ができていく。住民はそのことによって支えられている。早い、安いとなったらすぐ移転、海外へでも飛んで行ってすぐに変化や結果を求めるけど、その後に残された人たちへの影響は全然考えてないね。」
 

「節電=我慢みたいなイメージがあるけど、今年の夏は地下鉄なんかはヨーロッパみたいな感じで、あのくらい暗くても感じがよかったけどね。我慢じゃなく気持ちがいいな。と思えばいいんだよね。そもそも自動ドアって何のためにあるんだろう。よく考えたらあれってドア開けるハンドルを手前においといて、それをぐるぐる必死でまわして発電して、さあドア開きましたよ、っていうようなものじゃない?最初から手で開けばいいだけのはなしなのにね。そう考えるとちょっと滑稽だよね。電力使用を一時的に控えましょうじゃないんだよね。暮らし方そのものをシンプルに昔に戻せば必要以上の電力を使わずに済むんだよね。」
 

「これまでも原子力について気づいていた人も反対していた人もたくさんいた。それでも変われなかった。でも今回これだけの事が起こって、今までにはないぐらいの数の人が、この原子力発電や放射能にも注目している。ここでそういう風に皆が変われなかったら、もう何回繰り返しても同じことだよね。」
 

悠三さんの口調は穏やかで、淡々としていてはいるけれど、本質は何かということから全然ぶれていなくてとてもわかりやすく、出てくる言葉と暮らし方が一致しているからなのか原発の話も花を活けることも、同じトーンでつながっているような気がする。いつもそんな日常の会話から花を活ける事が始まる。
 

「じゃあ、そろそろはじめようか。」
 

悠三さんのところでは、まず自分の好きな花を選ぶ。みたこともないような大きさのインパクトのあるケイトウがまず目に入る。ボンベイという種類だそうだ。ザクロや、せんだん、ビバーナムなど、可愛い実のついた枝もの、黒に近い紫色のトウガラシやカラー、アンティーク調の色合いのアキアジサイ・・・春の華やかで軽やかな草花もいいけれど、重厚な存在感を感じさせる秋の草花もいい。最初から「ハイこの材料を使いますよ」と用意されているのではなく、好きなのを選んでいいからこそ、どの花を選ぶかはやはりその時の個人の気持ちの問題だと思う。花や枝ぶりをよく観察する。同じ種類でも形や大きさや向きで、全く違う表情を見せるからだ。花器も好きなのを選ぶ。自分が活けたいなと思う花がどの花瓶だとしっくりくるか。花瓶選びも重要だ。自分が思ったイメージで選んだ花瓶に活けていく。
 

「あのね、アレンジメントとちがって、花を活けるということは、その花の力を出してやるっていうことなんだよ。それはどちらかというと表面に見えてる花の形や色ではなくて、茎とか、葉っぱとか、根っこの方に近いものなんだ。切り花にはもう根がないよね。命を人間のエゴでわざわざ断ってまで飾ってやろうというんだ。その時点で花の命を、その花の業を背負っているんだと思うんだ。だから自然にあるよりもっと華にしてあげなくちゃいけない。たとえばぐわっと花びらをむいちゃう。こんなふうにね」
 

「隠しているものを開いてみせると突然、色っぽくなったりする。花はしたたかだよ。綺麗にはかなく見せているけど、茎はもちろん、葉っぱにも花びらにも、思わぬ力があるんだよ。葉同士がかさなりあっているところに生まれる力、枝と葉が絡まって生まれる力、茎を割いて、立たせてみたり、皮一枚でつないでおいて曲げてみたり。根っこを切ってしまってもなお、残っているその生命力を存分に使って「花」=「華」にしてあげるんだ。そのためならどんなに曲げても切っても開いてもいいと思う。」
 

前に習っていた時に聞いた言葉を思い出した。なにかしっくりこない部分、それはやはり、根がぶらぶらしてるように活けた花なんだ。かっこよく活けるがためにそうした花を適切に指摘された。
 

「根っこはもう切ってしまっているから茎と葉が根っこがわりになる。ここを自然に添わせるように、絡みつかせるように。花が行きたい方向に合わせてやる。上辺の色や形ばかり見るよりも、茎や葉を大事にしていくと、思わぬ表情、想像以上の力強さが生み出されるんだよ」
 

人間と同じで、形ばかりそろえてさあ何か始めようといっても、結局志とか、根っこにあるものがしっかり組み合わさっていないとすぐばらばらになるのだ。頭で考えた形には限界がある。茎と葉をしっかりと添わせていくと、想像と違うので少し戸惑うのだが時間が経つにつれてどの角度から見てもいい。自分がこの花を華にしてあげる事ができただろうか。
 

 
 

「写真撮影が終わったらお茶にしよう。ケーキを食べよう。」
 

分厚く切ったロールケーキとコーヒーが、夢中になって疲れた脳を心地よく癒してくれる。その間、悠三さんは、ケイトウやアキアジサイの派手な部分が疑似花だという花の繁殖の話に始まり、チューリップの球根が投機目的でヨーロッパに入った話や、カーネーションの花をふっと吹いて開いて、めしべと雄蕊の部分を見せてくれたりと、いろんな角度から「花」を教えてくれる。自分でもわからないことがあると、装丁も挿絵も素晴らしく可愛い牧野富太郎の植物図鑑(昭和七年発行!)を開いてみせてくれる。身近な題材の知らざれる一面にときめく。こんな楽しい学校ほかにあるだろうか。
 

帰ってから花束の包みを開いてみると、活けてなかった葉っぱが入っていた。家に帰ってこれをいけ直してみると、加わった葉っぱのせいで、また花がいっそうぐっと引き立つ。花瓶の前を通りかかるたびに、思わずにんまり。本当に、たくさんのギフトをもらった1日だった。