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15歳の選択

吉泉ゆう子(イラストレーター)
1987年~1989年在籍

制服のスカートの長さを毎朝校門でチェックされ、カバンに忍ばせた漫画を焼却炉で焼かれ、遅刻する度に竹刀で殴られるような中学生活に絶望していたため、学校というものに憧れもなにももてないまま受験生になってしまった中学3年生。高校に進学しないのなら、親戚のいるブラジルにでもいっちゃう?という両親。

ブラジルは遠いしなぁ、、、と受験にチョイスした高校は、好きだった美術学科のある文化学院高等部のみ。が落ちた。うーむ。。。世の中そんなに甘くない。やっぱりブラジル?

いやいや、、、と文化学院出身の長沢節先生が主催しているセツ・モードセミナーに入ることを決意。考えた末、セツの午前部に通い、夕方からは定時制高校に通うことにした。そんなこんなで高校1年の秋、私はセツに入学したのでした(世の中甘くないけどくじ運だけはいい)。が、何せ15歳(12月生まれだから)。世の中はバブル。ハウスマヌカン全盛期。オシャレな先輩方に混ざってヨレヨレコソコソ。なにもかも必死。バイトをし、服を買い、雑誌を買い、セツ先生が話題にする映画を観て、めぐろみよさんが入れてくれていたカフェオレを隅っコで飲み、ツバキハウスにはどうしたら行けるような仲間ができるのかを考え、セツゲリラの人たちを指を咥えて眺める日々。

でも、そんな私にもセツ先生は優しくて、どうしようもないほどにヘタクソなのに、構図や色など、どこかしら褒めてくれたり。ずらりと並んだ絵をみて「ああー目がくさっちゃう~」とか言いながら教室に入ってくるセツ先生。でも、なんか怖くはなくて、ユーモラス。セツ先生と冗談を言い合ったり、そんな風にはなれないし、居場所もうまく見つけられなかったけど、講師の先生方の授業や、構内で開かれるファッションショーもありセツは刺激に満ちていて、楽しくて自分の選択は間違ってなかったよと、セツの階段で縮こまっていた15歳の私に教えてあげたいです。ちなみに、セツの課題の大きな絵を抱えたままヨレヨレと通っていた定時制高校も無事卒業できました(ギリギリでしたが〜)。

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  1. 晴子博物鑑 より:

    もしブラジルに渡っていたら、サンビスタになっていたかもしれないねえ!

    • 吉泉ゆう子 より:

      今思えば、ラテンの気質は向いてたかもしれませんが、致命的なリズム音痴!!!!きっと、そこで苦労したような(笑
      みんなで盛り上がって踊っても、一人だけ「あれ?」ってなってるのが目に浮かびます〜

  2. 星信郎 より:

    クジ運よかった吉泉ゆう子さん、それがはたして良かったのか悪かったのか? まだ15歳の高校生が、絵を教えない絵の学校なんかに入ってしまった。セツ先生がよく言ってました、「絵を描くことは麻薬みたいなもんだよ、いちどやってしまうと一生止められなくなるよ」と。

    そのころ午前部のカフェ・バイトに目黒みよさんがやってましたね。目黒さんはイラストレーションの仕事も忙しくてカフェの方と掛け持ちで、しよっちゅう遅刻してましたが、そんな時は優しい清水センセイや僕がサポートしてましたよ。実は、僕はそれが一番好きなことでした。星

    • 吉泉ゆう子 より:

      星先生、先日はポエトリー展でありがとうございました。小さい頃から絵画教室には通っていましたが絵は下手でした〜。セツ後、美大を目指し美大予備校に行きました。セツデッサンからの美大予備校デッサンへのシフトはなかなかできなくて、かなり予備校でも浮いてましたね(笑)ずいぶん寄り遠回りをしていまへいたります。

      先生方や目黒みよさんの淹れてくれるカフェオレが美味しくて、缶コーヒは下品! っという教えを守って、長いこと缶コーヒーは飲まなかったです。
      先輩方に混ざって、並んで。淹れたてのカフェオレ。暖かくて、特別美味しかった記憶がいまでもあります。

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