4

先生と二人きりの食卓

阪口笑子(イラストレーター)
1975年~1980年在籍

長澤節という名前を知ったのは友だちの持っていた平凡パンチのページを見たのがきっかけだった。東京から遠く離れた和歌山で高校生だった私はセツ先生の写真と一緒に並んだ自由という二文字の、そこから醸し出す何かに引かれてしまった。
 「東京に行ったら赤軍派の永田洋子みたいになるんちゃうか」母は呪文のように呟き、私を諭し東京行きを反対したがそれをよそに1974年の秋も深まっ頃、セツモードセミナーに入学する為に上京した。
 夢を抱いて入学したもののセツでは劣等生だったがそれでも十分楽しかった。あの頃の自分を顧みると素直に笑ってしまう、何故かというとセツ先生が語ることなら全てが正義だと言い聞かせ仰ぎみるように憧れた。合評会でセツ先生にAをもらった人には嫉妬にも似た羨望の目を向けた。70年代は私も時代も激烈な才能を渇望していたのだろう。
 そういえばコスチュームデッサンのモデルが急遽来れなくなったので私がモデルにと頼まれた。その後でお礼という意味で学校の二階のテーブルで先生と二人きりでご飯を食べることになった。よくみるとおかずが入った大鉢を前に取り皿が一枚もない、直箸は失礼だし生唾ばかりが出て固まってしまった私。すると先生が「ほら、遠慮しないで」そう言いながらひゅっと長い指が伸び、私の持つどんぶり鉢におかずをバンバン置き始め、あっと言う間に見事な丼もんになった。緊張している私を和らげようと何気ない優しさは身に沁みた。分かったことは先生の自由とは背中に優しさがかぶさっていたんです。

何年か前に風の噂で学校が閉校になると聞いて懐かしの学校を目に止めたくて行ってみた。階段を下りて上って右側のバルコニーに出ると、色とりどりの花が咲き乱れ風に揺れていた。なにもかも見事に昔のままなのにセツ先生だけがいなかった。
 セツ時代の私の思い出は今も色褪せないのは先生の輝き方がめっちゃカッコ良かったんだなって思うんですよ。

4 Comments | RSS

  1. 遠藤梅子 より:

    揺れる可憐な花たちがセツ先生の伝えようとしていた何か大切なものとオーバーラップ
    笑子さんの物語ることと.この作品が妙にあの大切な時間の差を縮めて迫ってくるようです。
    この絵の軽やかさと.セツ先生の思い出が..なんとも..マッチしていいんですよねぇ..きっと。

    • 阪口笑子 より:

      遠藤梅子さま
      コメントありがとうございました❗
      嬉しかったです。
      和歌山からセツ先生に会う為に東京に
      出てきたなんて、今じゃ
      考えられないバカものでした(笑)

      「それは長沢節から始まった」
      という私の画歴は今では誇らしく
      思うこの頃でございます。
      ありがとうございました。

  2. 星信郎 より:

    坂口笑子さん こんにちは。  やっぱり坂口さんは明るい人だ、昔も今もかわらず、お名前どうりです。
    1975〜1980年あのころは、サイケデリックやポップアートの華やかしい時代でしたね、セツの生徒も負けず劣らずカラフルで、キッチュで、ベルボトム姿で、みんなで狂ってしまったように。 坂口さんの絵でその情景が甦ります。
    そのころ坂口さんは石垣綾子さんのアシスタントをしていたそうで話題豊富、お喋り上手でした。 その坂口さんが、あの談笑天才のセツ先生と向き合って二人だけの食事とは、、、さて、勝負はいかに?

    • 阪口笑子 より:

      星先生
      コメントありがとうございました❗
      ご無沙汰してます。先生のお元気なご様子はいつもフェイスブックで仰ぎ見ておりますです。私のセツ時代の星先生の印象は寡黙な横顔が鮮明に脳裏に覚えています。
      星先生は詩人の雰囲気がありましたね。
      セツ先生は「キャキャ、」と笑って何事にも面白がる天才でした。
      あれこれ思い出すと
      尽きない私のセツ物語でした。
      ありがとうございました。

阪口笑子 へ返信する