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「セツ1の脚」?!

中西悠花(セラピスト)
1985年~1987年在籍

セツモードセミナーでの2年間はキラメキがぎゅぎゅっと凝縮した私の人生の宝物です。

父が神戸でオートクチュールのデザイナー&スタイル画の講師という環境で育ったこともあり私もファッションが大好きになって高校卒業後デザイナーを目指して大阪の服飾専門学校に進みました。

優等生(笑)で希望いっぱいに学んでいましたが、当時のアパレルの現状を知って希望が絶望に変わり、『装苑』を見てずっと憧れていたセツ・モードセミナーに抽選に当たることを祈って、家出して入学しました。

はじめてセツ先生にイラストを見ていただいた時、「古臭い!」とひとこと! ガーーーン! 大阪でトップのイラストよ!? という私のローカルなしょぼいプライドが砕かれて、ここから本物の美意識『セツ美学』の転写が始まった瞬間でした。

私はとてもラッキーです。初川先生のスカウトでモデルになれて『セツ1の脚』と褒めていただき、おかげで他のクラスも参加させていただけて、友達も増えて、可愛がってくださった星先生や、生徒モデルでファッション科のアシスタントだった友人とは妙に気が合って、彼のおかげで浅賀先生にもご親切にしていただいて、私のセツ人生は本当に楽しかったです。

関西から脱出しパリのモンパルナスのような雰囲気を醸していたセツ・モードセミナーに行くことを選んだのは、私の魂の美意識のシナリオだったのかも、とも思います。

「下品な缶コーヒーは持ち込まないでください」セツ先生手書きの張り紙を見たときの感動!建物の隅っこまで満ちていたセツ美学に1970年代の私はどんなに憧れていたか。

美しいものが好きな、今の時代なら発達障害のレッテルを貼られるかもしれない個性が集まって、のびのび自由に表現ができた夢のようなセツ美学の学校。本当に幸せでした。

坂の途中の螺旋状の建物。休憩を告げる鐘の響き。ひきたてのコーヒーの香り。吹き抜けのフォワイエ。先生も生徒も一緒に描く授業。どのシーンもヌーベルヴァーグフィルムのワンシーンのようなセツの日常は、わたしの全細胞とイメージの中で永遠に輝きを放っています。

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  1. 星信郎 より:

    中西悠花さんの文章を読んで、いろいろと回想してみました。 そうでした、「セツ1の脚」でした。 いやいや脚だけではないんだが特に脚がね。
    その脚で、悠花さんモデルのときに履いてたスニーカーとっても素敵だったから、がらにもなく僕もそれと同じものを、悠花さんにお願いして買ってもらったことが蘇ります。それは白い布製で、靴ひもは黒でした。
    悠花さんは絵よりもファッション方向の人かと思ってましたが、どうしてどうしてデッサン上手いですね、セツ先生のオナカが、かすかに膨らんでる感じまで捉えてますね、認識を改めました。それより何より、あの悠花さんが現在セラピストであることがビックリです。ホシ

    • 中西悠花 より:

      星先生、『私のセツ物語』の一員にさせていただけたご縁を結んでくださって、どうもありがとうございます! 原稿を書くためにセツ時代の写真を久々に見つめていると、気持ちが瞬間に写真の中にワープして、たくさんの楽しさと喜びが蘇りました、そして◯10年ぶりにチャレンジしたデッサン。それもセツ先生を! 
      相変わらず下手くそで恥ずかしいのを承知で描かせていただきました。セラピストと言う仕事をするようになって隠し事することがなくなったので、そのままこのままを。
      そのデッサンを優しい星先生が褒めてくださって、とっても嬉しいです。セツ先生、笑って許してくださいね。
      白いスニーカー!そうでしたね☆ とてもお似合いでした。 私も星先生とお揃いで嬉しかったのを覚えています。
      星先生、暑いし、いろんな規制で息(生き)くるしい今ですが、どうぞご自愛くださいね。先生にまたお目にかかりに行きますね!

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