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モノセックス・ファッションショウ

Bow。池田和弘(絵描き)
1963年~1965年在籍

めでたく工業高校をやめて、セツ・モードセミナーに入学。もう忌まわしいツメエリ・マックロ学生服とオサラバ。押さえつけられていたお洒落への欲求がバクハツして好きな恰好でセツ・モードセミナーへ通った。クールカットだった髪はどんどん長くなり、ズボンはどんどん細くなっていった。その頃の僕は身長183センチ、58キロ。ヒョロ長い妙な服装の僕が面白かったんだろうね。長沢先生に「オマエ、モデルやんな」と言われ、時たまクロッキーのモデルをやった。すると帰りに1000円貰えるんだから、ピーピーの僕はすごく助かったなあ。

2年目には、峰岸、宮本、柳生の弦ちゃんたちが入ってきて、やっと同世代の男の生徒ができてすぐ仲良くなった。そして、四谷にセツ・モードセミナーの新校舎完成。そちらに移転。僕もついに卒業。でも、とくに行くところもないので、毎日、セツに行っていた。仲間たちとロビー上のベンチでビートルズの新しい曲がどうの、いや、ローリング・ストーンズのほうがいい。お前のズボン細いなあ、何センチ…… なんて、しゃべってる。すると、長沢先生がトコトコやってきて皆を見廻しどこへ入ろうかと品定め。細い男の隣にぐいぐいと割り込んで座り、ヒザとか肩とかをつかんで骨を確認しながら、いろんな話を始める。「オマエたち、ファッションとモードの違いって何だか知ってんのか」「ジバンシーの服、見たの。見な。カッコいいから」。セツ・モードセミナーって絵のことは、あんまり教えてくれないけど、そういう時の長沢先生の話がものすごくいいんだなあ。自由なモノの考え方。既成概念にとらわれないモノの見方を教わった。

やがて長沢先生が「オマエたち、ブラブラしててもしょうがないからセツ・ゲリラっていう特待生つくるから、やんな」と言う。峰岸、宮本、柳生弦ちゃん、僕もそこに選ばれた。そして、僕たち四人でギョーカイにイラストをアピールするためのグループを作ろうということになった。長沢先生に「アトリエ・コパン」フランス語で「仲間」という名前をいただいた。その話は峰岸くんの回に詳しい。
   ある日、星先生から電話がかかってきた。「池田くん、モデルやってほしいから、学校に来て」長沢先生がファッションショウをやると言う。「モノセックス・ファッションショウ」。また、先生に「オマエ、モデルやんな。アルバイトになるんだから」と言われた。僕は何だかわからないまま、でも、バイトになるならいいや、と「ハイ」と答えた。採寸。型紙作り。仮縫い。仕上げ。と、なんども、縫製アトリエへ通う。ハハア。洋服というのは、こうやって出来ていくのか。と、そのショウのモデルを二年間やって、とてもいい勉強ができた。それが、後にすごく役立つんだ。

服が出来上がると、それはミニスカートだった。でも僕は、なんの抵抗も感じなかった。それよりも、このシャツの柄きれいだなあとか、ヒザまでのブーツ、カッコいいとか。グレイのマキシコートもカッコよかったなあ。男が強さをひけらかさない。堂々と弱さを見せる。闘わないためにスカートを履く。……と、長沢先生は言っていた。ベトナム戦争に世の中がウンザリしている頃だった。男女のモデルたち皆で、銀座通りも歩いた。面白かったなあ。一週間のショウが終わると、アルバイト料、なんと数万円ももらった。ビックリ。でも、助かった。

(つづく)

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  1. 星信郎 より:

    モノセックスとは、セツ先生の造語ですよね、男女の差別も区別もなくしてみようという作戦。あのファッションショーはビックリ仰天でしたよ、モデルの皆さんたちが長身でカッコよくて僕はとても近寄れなかった。川村都さんが言うには.「先生のやること50年早い」とか。

    さらっと描いてる池田くんのデッサンは、リアルにセツ先生との身長差がでていながらもカッコいい、先生の脚もじゅうぶん長い。

  2. 内川瞳 より:

    BOWこと池田くん。お元気でなによりです。私がセツに入った時はもう既に峰岸くん達と目立つ存在でした。アトリエコパンは名前からしてカッコ良くて憧れました。セツ先生が付けてくれた名前だとは最近知りました。
    他のコパン達とはお話ししたけど、面と向かってBOWとは話したこと無かったかもしれないと思い出しました。
    私が入った年はセツ先生の、モノセックスショーがワシントンで開催されました。セツモードセミナーはいろいろ世間も賑わした華やかな時代でしたね。第一回のモノセックスショウでは、BOWがステージで、ギターで、弾き語りして歌ったのでしたね?内容は覚えてないけど、思い出すと色々才能ある男だったのだな〜.と今更、驚きです。
    あれは第一回のモノセックスで第2回はホモ.ジュピーというのでしたね?
    実はモノセックスショ〜では、開催寸前の時、一番小柄なモデルさんが急に病気で、出られなくなったとかで。たまたまその時居合わせた私に、ピンチヒッターを命じられました(いえ、断ればいいのに、どうしようと悩んだ挙句その気になったら、翌日モデルさんの病気が治って、私はボツになったというわけでしたという話なんてどうでも良いのですがその時ショーの中で弾き語りなんて凄いな〜と憧れました。
    その後ホモジュピーでもBOWさんはショーに、出られたのですよね?
    ホモジュピーのファッションを当時のTV東京だったか10チャンネルに出演したときは私も出てBOWとお揃いのスケスケロングの服を着て、当日下着は着ないでフンドシを、履くことになってたのは知らなくて、びっくらこいてしまいましたが後にはひけず、BOWリードの元ランウェイ?を、歩きました。覚えてないでしょう?BOWとはそんな感じの人ですから。笑。
    考えてみたら第一回のモノセックスショーよりかなり露出度が、高かったのでした。あの服などはまだロングでしたからマシでした。笑。
    服は模様があってスケスケに映るとは思ってもみなかったのだけど、あのときはあまり深く考えず、セツ先生のショーに出ると言うで、舞い上がってしまったのでした。BOWとはご一緒させてもらって光栄でした。
    懐かしき青春の、1ページ今更ながら感慨深いです。そんなわけで私は記憶力がものすごく良いのです。

    セツのアッブチュウの話も星先生から、今頃聞いて納得したなんてところが楽しく拝見できました。
    第3弾もあるのですね、楽しみにしてます。
    あ、それから何故BOWと呼ばれたのが曖昧で詳しく知らなかったのでした。
    でもその後デヴィットBowieやBOØWYなどのミュージシャンが出て来た事からしても先駆け命名でしたよね〜

  3. Bow。 より:

    スカート履くのも若さのパワーですね。長沢先生を信じてたから何も恥ずかしくなかった。でもギターを弾いて歌ったなんて今こそ恥ずかしい。瞳ちゃんコメント有難う!そうかあ、テレビ一緒に出たっけ。ともかく色んな所に呼ばれて行ったからね。瞳ちゃんは可愛かったものなあ。オッキイ目だまでガリガリで。懐しい!

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