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青春のコパン2

峰岸達(イラストレーター、MJイラストレーションズ主宰)
1965年~在籍

ぼくは弦一郎とはそれ以降の方がより親しくなった。鈴木康司が入ったのと同時に越した新宿区坂町のアパートは、4畳半に小さなキッチン、トイレ付き、風呂無しで家賃1万9千円。実際はぼくの住まいだったが、コパンの連絡場所(事務所と呼ぶのはおこがましい)、集合場所でもあった(前回の画像参照)。なので、みんなには月に千円か2千円かずつ出してもらい(あまり昔のことなので金額は定かではない)残りの多くはぼくが出した。仕事をするのは、みんな自分の住まいでやることになった。

セツ・モードセミナーは隣りの舟町で徒歩3、4分の所 。卒業してもしょっちゅう遊びに行っていた。セツのロビーはぼくらの溜まり場だった。50円のセツコーヒーを飲んで、何時間もたむろっていた。鈴木康司などセツの生徒でもないのに定期券を買って通っていた。後輩たちにも親しい仲間が何人も出来た。先輩では全ブス連(わからなかったら自分で調べてね)のおねえさんたち。セツに近いのでぼくのアパートも一方の溜まり場になっていた 。

狭い木造の4畳半なのに夏、窓を開けたまま(クーラーも扇風機もない)ロックを掛けて踊っている(そのころ踊るのが流行っていた)バカ友が何人もいて下に住んでいる女の人に「うるさいっ!!」と窓越しに怒られたりした(余談だが、その女の人はのちに古今亭志ん朝の奥さんになった人)。そのころの後輩仲間の1人がウチの妻。付き合い始めたのがぼくが23歳、彼女は19歳だった。それから幾星霜、あんまり長いので何年経ったのかわかんなくなっちゃった。

そんなこんなでコパンの世の中に打って出るという当初の目標は、まあまあ叶ったのだった。元々イラストレーターというのは個 人でやる仕事だし、グループを続ける意味が ないと判断しあっさり解散した。わずか2年 間のことだった。こう書いてくるとぼく自身な んだかいいことずくめのとんとん拍子みたい だが、人生そう甘くはない。のちに結構つら い氷河期も経験している。ちなみにコパンの宮本勲は若いうち にイラストレーターから足を洗ったが、他の 4人は解散から現在までの約50年、ずっとイラストレー ター又は絵本作家として活動している。

柳生弦一郎 、福音館からユーモラスでユニークな科学絵本を出し続けている。BOW(池田和弘)、日本屈指のクルマのイラストレーターである。スズキコージ、特異だがユーモラスでもある作風の絵本作家として名を馳す。峰岸達、イラストレーターの傍ら10数年前から私塾「MJイラストレーションズ」を主宰。最後にこの場を借りて、峰岸の宣伝を。高田文夫氏との共著「画文集 芸人とコメディアンと」を二見書房より11月29日に全国書店、ネット書店で発売!あ、それから、今回の絵は文章とあまり関係ないが、セツ先生晩年の肖像。図々しく1人で4回も連載し、お邪魔しました。失礼しました。

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  1. 星信郎 より:

    4回にわたってのセツ物語、オシマイですか、本当はまだまだ書き足らないはずですね、セツモードセミナーも全てが順風満帆な訳ではなかったし、ちょっとここでは語れぬ大ピンチもありましたよね、そんな時には、いちばん口の堅い峰岸君にはよく相談してました。

    セツのロビーは、いつでも誰でも外部の人も、自由にやすめる場にしたいとセツ先生は考えていたようです。最初のころはニコラスのピザを食べに近所の知らないお姉ちゃんたちもよく来てましたよ。

    ところで、画文集の出版おめでとうございます。やあ〜、よくがんばってますね〜 しかし、もうお歳だから、お酒の方はほどほどにね!

  2. 内川 瞳 より:

    峰岸さ〜ん、今回は2番ですけど、先ほど書いた文が送ったと思ったら消えてました。沢山書いたので、再度思い出すのが大変なので、休憩してから又書いて送りますね。

  3. 内川瞳 より:

    ハイ、消えたい文は復活できないので書き直しての投稿です。先ずは画文集。『芸人とコメディアン』出版おめでとうございます。是非勝って拝見します。
    峯岸さんの物語はこれ終わりじゃないですよね?でも恐らく、たぶんこれ以上は辛くなったのですか?セツモードセミナーが廃校になったことで多少はふっ切れて想い出を書くことが出来た様子で楽しく読みました。コパンの知らなかった話や当事の時代を感じるとお話面白かったです。ただ節先生亡き後は期待に反して様変わりした事や親しんだセツモード初期からの先生や有名な講師陣を排除てしまったことで、まったく違ったものになってしまった事が残念でしたよね。何かでお会いしたとき『僕はもう肩書にセツモードセミナー出身とは書かない』と聞いて私もハッと気がつきました。私は『長沢節のセツモードセミナーセミナー卒』と書いていたのです。
    私は初期の高樹町の思いではありませんが新しい白堊の校舎が出来たあとの華々しいセツモードセミナーの全盛期で見るもの聞くものすべてが
    刺激的でした。そんな思入れのある学校でした。
    セツ先生にいないセツモードセミナーでもあの学校にはセツ先生の思い出と何処かにいるような気がして遊びに行く行きたかったのに行く気がしなくなったのはその思い出を語る先生がいなくなった事もありました。
    その後に入学した生徒さんたちは在りし日のセツ先生を知らなくても伝説のセツ先生の事は聞いて知り、それでもアートに携わる者として勉強されたのだと思います。セツ先生なき後継者さんの約20年の学校経営ご苦労さまでした、が同時に校舎の老朽化にの辺り廃校にになったことで校舎も伝説のセツモードセミナーになりましたね。
    あの学校の設計はセツ先生が考えた斬新で実用的は中身などは(設計社と相談しながらもとは思いますが)できる限りの自由発想のもとのインテリアなどは建築家卒でもある穂積和夫先生も脱帽してしまったと最近お聞きしました。

    峰岸さんのイラストレーター暦50年盛ることながらMJイラストレーションズ主宰の学校の生徒たち達に囲まれて育てる(もしくはセツスピリッツのように勝手に育つ?)楽しみの中、益々の活躍を願っています。

    色々な人から知るセツ語録も楽しいものがありました。

    • 内川瞳 より:

      文字の変換間違えばかりですみません。書いてる内容が見えないので戻ると消えてしまったりなのでそのまま送信しました。文字も、薄く小さいのでコメント書くたびに、目が、悪くなります。チルチン人の編集の方、今更ですが見やすいようによろしくお願いします。

  4. えいいち より:

    まだまだ話を聴きたいです。このサイトでも、他でも、で本にしてほしいです。絵付き、話盛りだくさん。誰か企画してくださいな。記憶力のいい峰岸先生なら、まだまだいくらでも話が泉のごとく湧いて、あふれ出ますよね。喜怒哀楽、感動の数々。また楽しみにしてます‼︎

  5. 小牧真子 より:

    最終回、まだまだこれからというところで終わってしまいましたが、
    私の知らないセツ、伝説のように読ませていただきました。

    セツのカフェ、私も大好きな場所でした。
    セツ先生がなくなられて最初の生徒でしたので
    カフェでは星先生、清水先生から在りし日のセツ先生エピソードを
    たくさん伺いました・・・空想にもかかわらず、セツの校舎に佇むセツ先生の姿を思い描けるようになっています。

    先生が描かれた晩年のセツ先生は、私の空想の中のセツ先生と
    口元や背筋から首筋にかけてとても似ていらっしゃる気がしました。

    最後かけあしでさらっと書かれた数年には、
    奥さまとの出会いがあったりして、もう少し詳しく読みたかったです。

    とってもおもしろかった峰岸先生のセツ物語・・・
    いつかぜひ、再登場してください!

  6. 峰岸 達 より:

    星先生、瞳ちゃん、小牧さん、えいいちくん お礼返信が大変遅れてごめん!
    今更ながらありがとう!
    このコメント欄、瞳ちゃんも書いてるように入れても消えちゃうので・・・。
    何度やってもダメなので、某女子にこのコメントをメールで送って代わりに入れてもらいました。
    下記のコメント、実はぼくが主宰のMJイラストレーションズのサイトにすでに入れたのとほぼ同じですが、気持ちは同じなので・・・。

    ホントにね、書こうと思えばいっぱいいろんなことがありますね。
    この4回分でも、随分いろんなことを端折ってます。
    で、「私のセツ物語」の方でも星先生や瞳ちゃん(ぼくのちょっと後輩)がちょっと触れているけど、セツだっていいことずくめじゃなかった・・・。
    正直、閉校になって良かった、とぼくは思ってます。
    でも、あの建物はもったいない・・・。どうするんでしょうね・・・。ぼくらが植えたあのポプラ、立派な大木になったあのポプラ、1、2年前の台風の時に倒れて跡形もなくなっちゃった・・・。

    それから3回目の引っ越しのDMの上に書いてある奇妙奇天烈大千世界宇宙大爆裂というのは、スズキコージがいろんな言葉をテキトーに組み合わせて作ったデタラメ語です。
    あいつは「♪ベラビクセンベラビクスタ」とか「♪空でカラスが転んだ」とかわけのわかんないこと(歌にもなってない)をよく言ってました。
    今も言ってると思います。

  7. 宮内カナ より:

    峰岸先生、こんにちは。かなり遅れてのコメントですみません。前回に続いて青春時代のエピソード、とてもうらやましいです。卒業してからもたむろしたり、定期持って通う方までいるなんて、セツって皆さんから愛されてたんですね。
    先生のお住まいが、コパンの連絡場所っていうのも面白いですね。きっと、24時365日が輝く青春だったんだろうなー、と想像します。

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